先週、能登と金沢に行ってきた。
能登半島の北部にある輪島へと至る道は、土砂崩れでトンネルが塞がっているとのニュースが先にあったので、水害が少なかったと予想される南側の道を走った。目的地は東端にある珠洲である。
で、読み通り、こちらは被害があまりなく、途中、道路工事がいくつかあるもののスムースに珠洲に着くことができた。先日の水害以前から、能登ではいたるところで道路の修繕が行われているが、これの管轄は国か県である。この管轄の問題は大事なので記銘されたい。
しかし、珠洲に近づくにつれて、先日の台風よりも、1月の地震の爪跡が目立つようになる。やはり、2ヶ月前に行った東端の志賀町とは様子が異なる。街中に入るとそれは歴然となった。
倒壊している家がそのままになっていることにはさして驚かない。神戸や東日本で見た光景は、ここと比べるレベルではなかったからね。そもそも倒壊家屋自体がひじょうに少ない。しかし、真っ直ぐに立っている電信柱がほとんどなく、つながった電線で支えられている。かつて地震後1ヶ月の神戸を歩いたときも、多くの建物が斜めになっていて、めまいのような錯覚に陥ったものだが、ここも似たような景色だ。しかし、これが地震後1ヶ月ならわかるが、もう9ヶ月経っているんだよね。被害が小さいとは言え、阪神や東日本のときの復旧スピードから比べて明らかにおかしい。
電信柱を管轄するのはやはり電力会社だろうと思うのだが、正確には、「電信柱」と「電柱」とは違うらしい。電信柱は送電のためにあるのだが、電柱は通信のためにある。実際には共用している柱も多くある。ということだ。ちょっと複雑ではあるが、ほぼすべての電柱、電信柱は北陸電力が所有者で、一部所有としてNTTあたりの通信会社があるという理解でいいみたいだ。そして、電柱、電信柱の工事については北陸電力の関連会社が受け持っているはずなので、珠洲市のこの状況に対して、国や県に直接の責任はない。道路などと違い、電信柱や電柱は行政の管轄外なのだ。つまり、珠洲の町の電信柱がいつまで経っても斜めなままなのは、北陸電力が動かないからだというストーリーが成り立つわけである。
となると、邪推が働く。
2ヶ月前に原発のある志賀町を見たときには、拍子抜けするほど被災の跡がなかった。電柱もみな真っ直ぐ立っていたと記憶している。もちろんこちらは揺れが弱かったからかもしれないのだが、震度的には差はなかったのだから奇妙だ。この目で神戸や東北を見てきた僕としてはそう思えたのだった。今回珠洲を見てますます奇妙な事に思えた。だから、北陸電力は原発建設を受け容れてくれた志賀町には早急に工事を進め、原発に反対した珠洲市のほうは放っているのではないか? つまり意趣返し、あのときの恨みを晴らすべく嫌がらせをしているのではないかという考えが僕の中で浮上した。
ま、お金や人手がないという言い訳も用意されているのだろうが、とにかく放っていることだけは間違いない。でもこのままではあと半年経っても状況は同じかもしれない。時間が経ち、多くの人が能登のことを忘れていけば、復興はさらに遅れるだろう。これを少しでも変えるなら、それはマスコミの力ではないのか。そもそも、今になっても珠洲の町が、直立すべきものが直立していない、トリックアートのような景色になっている映像をどこかのテレビ局が流したことがあるのだろうか。少なくとも僕は知らず、今回現地に行ってみて初めて分かったのである。
阪神の震災以来、僕はいつも現地に行って自分の眼で見なさいと人に言うのだが、まさに行ってみないと分からないのが、災害というものなのである。
しかしながら、能登を半周しようという計画ではあったが、珠洲から輪島へ向かう道は途中で交通止めとなっていた。しかたなく引き返したのだが、輪島の町に行けなかったのは残念だった。途中能登町で、ただひとつ開いているらしい食堂で食事をし、また車で帰る途中、再び通行禁止でUターンを余儀なくされた。あの台風さえなければ順調に半周できたと思うが、まあしかたない。
金沢で友人たちと飲んで楽しかった。金沢はいい町だ。美味しいものがたくさん。で、楽しい思いをして東京に帰ったのだが、翌朝起きてすぐに脳裏に浮かんだのはあの珠洲の光景だった。
災害というテーマは自分の中ですごく大きい。そして根本的な問題なのだが、原発のことも絡めて、電気(エネルギー)事業というのは公営にした方がいいんじゃないかと僕は考えるところもある。そのことについては近々このコラムで書いてみたい。