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半島はいま

 2週間くらい前だったか、珠洲市の復興のために長い間駐留していた自衛隊が町を離れることになった。ニュースの中で多くの人々が泣いていた。そんなに長く駐留していたことにはちょっと驚いたが、それだけ復興が思わしくないことを伝えている。ここに原発がなくて本当によかった。

 2ヶ月前に行ってみた原発のある志賀町など、金沢から1時間ほどで行ける地域はまだいいのだろう。輪島や珠洲など、いわゆる奥能登の被害はより深刻なようだ。しかも、先日の台風が、地震のとき以上の深刻な事態をもたらした。ニュースでは住民たちが奇しくも同じ表現を用いた。「踏んだり蹴ったりだ」と。

 台風は岸田首相が輪島を視察訪問した翌日に奥能登を襲い、時間的にそれを知っていた首相は、それでも「卒業旅行」と揶揄されるアメリカへと飛び立った。行ったところで辞職が決まった首相が、同じような境遇のバイデンと会ったところで何の意味があるのか? 

 一年前、イタリアの首相は、G7開催の最中に自国の災害のために帰国したものだが、岸田首相は昨日被災者たちと面会し、笑顔で激励していたにもかかわらず、更なる災害には「まあいいや」となったわけである。まったく勝ち目のないゲームで僅かなロスタイムをどうやり過ごすかを考え、かたちとして被災地を訪れること、かたちとして米大統領と会うこと、それを政治家としての思い出のページに加えたかったようだ。何とも虚しいありようだな。

 やはり辞めてもらったほうがいいのは確かだが、それにしても総裁選の候補の顔ぶれときたら。僕としては小泉と高市だけは首相にならないで欲しいね。

 能登にかんしては気が重い。なぜなら、僕は明日から学会で金沢のほうに行くからである。で、前回の金沢行きでは果たせなかったので、今回は空いている時間に輪島や珠洲に行く予定だからである。しかし、崖崩れが多発したこともあり、道が通れるかどうかも行ってみないと分からない。まあ、行けるところまでではあるが、こんな災害直後に行くことになろうとは思ってもみなかったもので、心がざわつくのである。かつての阪神淡路、東日本大震災のとき、僕が被災地に行ったときにはすでに1ヶ月は過ぎていたし、ボランティアで行くわけでもないしね。

 遅いながらも順調に復興している様子を眼に収め、夜は友人たちと治部煮を味わうというのんきな予定は少し曇ってしまった。

 昔、輪島までは行ったことがある。輪島は昔から輪島塗でつとに有名なところだが、能登半島のその先はまるで分からない。原発の建設を免れた珠洲は、カキの養殖で有名になってきた町だということもわりと最近知ったことであり、今回の災害を通じて能登がいかに奥深い地域であるかが分かってきた。

 昔はこの辺は全部「越前」だったらしいが、それが「能登」や「加賀」に分断された。加賀の中心である金沢は、江戸時代日本で4番目に大きい都市として栄えたのだが、その一方で能登は貧しい地域であったようだ。

 明治時代、モースの知人であるアメリカ人、パーシヴァル・ローウェルは、1889年能登半島を調査し、「能登 日本の秘境」という本を書いている。残念ながらこの本は手に入らなそうなのだが、”  Noto An Unexplored Corner of Japan” と原題にあるように、当時はまさに未開の地であったことがうかがえる。

 正月の地震からなかなか復旧が進まず、今回の水害ではあっという間に多くの孤立集落が生まれてしまうのは、昔ながらの貧しさや地勢の問題があるからだろうか。何と言っても、収益が見込めないので鉄道が通らないことが大きいとは思うが、このような災害に遭っても、行政が力を入れないのがよく分からない。

 僕もそうだが、みな能登のことをよく知らないことも大きな背景としてあるのかもしれない。だって、阪神のときも東北のときも、復旧は急だったよ。日本中がそこに注目するっていうのは大事なことなんだ。とにかく、能登には復興の資金が、人がもっと注入されるべきではないのか。

 ということで、奥能登を視てきます。

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