オリンピックが終わっちゃったねえ。あっという間だ。いつもこんな感じだったけ?
放送時間帯が厳しすぎて見られなかったものも多いが、日本人として記憶に残るシーンのひとつは、なでしこジャパンブラジル戦の谷川萌々子のゴールだな。サッカー好きなもんで。
しかし、いちばん衝撃だったのは、柔道の混合団体戦決勝フランス戦での高山莉花選手だ。高山は78キロ級なのだが、相手は最重量級で100キロはありそうに見えた。しかも高山はメダルなし、相手は銅メダル。まるで猫とライオンが戦うようなもので、実際あまりの体格の差、パワーの差に場内では失笑が起こっていたほどだった。これは勝負になどならず、ただの公開処刑のようなものと誰もが思ったことだろう。僕もそうでした。
しかし、劣勢の中で高山が捨て身の大内刈りをかけると、相手の巨体がもろくも崩れたのである。在りし日の僕なら、思わず声が出ただろう。しかし、声は出ずとも、身体は跳ね起きた。びっくりしたなあ。井上が曙をワンパンチで倒したようなものだからね。で、押さえ込んでの一本勝ち。
僕も観た中ではこのシーンがいちばんすごかったね。観てない人はぜひとも観ることをお勧めしたい。驚きだよ。
高山選手にはとびきりの金メダルを上げたい。
阿部詩の件もあるので、柔道は印象深いことが多い。男子81キロ級で金メダルの永瀬貴規。予選から決勝まですべて圧勝。東京五輪からの連覇である。ほんとに強かった。解説の”柔道王”大野将平が、現役時代「永瀬と同じ階級じゃなくて良かった」と思っていたと告白していたので、さらに思いを強くした。
だったのだが、試合後のインタビューはあまりに意外だった。というのも、永瀬は、この3年間勝てない日々が続いていて本当に苦しかったと声を詰まらせたのである。えー、本当かよ。あんなに強いのに、そんなことがあったのかと。
で、3日前の阿部詩のことを思った。同じように東京で金メダルを獲った選手なのに、この違いは何だろう?
阿部詩は東京五輪後も無敵状態だった。負けを知らなかった。順風満帆、しかし、むしろそこが難しいのではないだろうか。
阿部詩を下したウズベキスタンの選手は、勝っても少しも表情を崩さなかったのだが、僕はその表情に勝つべくして勝った選手の姿を見た思いがした。世界で阿部に次ぐ実力者である彼女は、この3年間、阿部詩に勝つために、あの一撃のためにひたすら牙を研いでいたのだ。後から知ったことには、今年になって日本に出稽古に来ていたときも、阿部詩との組み手だけは拒否していたらしい。やはり、あの一撃のためにすべてを賭けていたのだと分かる。
はたして阿部詩は、自分が負けるべくして負けたことに気づいたのだろうか。まあ、あのときにはそんなことまったく分かってなかっただろう。それが少しでも分かればあんなギャン泣きはしない。そうしたことを理解するのが学ぶということだろう。81キロ級の世界チャンピオンである永瀬貴規は、この3年間、敗戦と苦しい日々から学び、東京のときよりもさらに強くなっていた。一方の阿部はそうではなかったということだろう。チャンピオンの座は奪うことよりも守るほうが難しいとはよく言われることだが。
私たちは皆、失敗や敗北から何かを学ぶ。勝負には結果があり、それはそれで大事なことかもしれないが、次なることの始まりでもあるだろう。つまり、勝つか/負けるかだけでなく、勝つか/学ぶかという意味の転換もできるのである。