菅野所長のエッセイ:初春ギャンブル考

 正月からの競馬で嫌というほど負け続け、意気は消沈、息も絶え絶えである。
一年に何回かはこういうことがあるけれども、早くもかという感じ。負けが続くと自信を失い、迷いが出る。そうなるとまた負ける。まさに悪循環、負のスパイラル。

 まあ、ここまでやられるとかえって気分が軽くなるところもあり、これが開き直りというものかなと、しばらくは清貧の生活を送ろうと思う。さあ仕事だ仕事だ。なかなか手をつけられない原稿も来週には全部書いちゃおう。と別に意欲満々というのではないが、空元気をつけてみようか。

 と思っていたら、昨日寄稿していた雑誌が送られてきた。ああ、そういえばこういうことを書いたなと思って読んでみたら、我ながらなかなか面白いではないか。うーむ、まだまだ書けることはたくさんあるなあ。一昨日は、今度出る本のゲラも送られてきて、これまた我ながら面白い。まあ自画自賛してもちょっと虚しいが。

 しかし、こんなことで面白がっているのも、自分がバカだからという以外に、最近心に刻まれるようなことがあまりないせいかもしれない。何かありますかねえ? 澤のバロンドール受賞はたいへんな出来事だが、まあ予想通りではあったし。去年の川口さんの講演のように、気持ちがインスパイアされたいものだ。

 たぶん、実はいつもそういうものを求めているところがあるのかもしれない。自分の心が更新されること、刷新されること、その一瞬の快感や刺激を過剰に欲するのがギャンブル依存の特徴でもあるのだろう。ああ、どうしようもない性だなあ。

 しかし、何もしないならそれでもいいというところもある。むかし、競馬から何年も離れている時期もあった。それはそれで大丈夫なのである。パチンコなんかも毎日のように店の前を通るけど、やろうとはまったく思わないものな。若いときには散々やったし、麻雀も大好きだったが。やらないでいると、それはそれで興味も関心も失っていく。

 何もない無人島にでも漂着したら、自分はいったい何に関心や興味をもつのだろうか、とても関心がある。安部公房の「砂の女」では、旅先で監禁され閉じ込められてしまった主人公が、真水を集める装置を作りだし、逃げることよりもそれを優先させていくという不思議な心の変容を見せた。そういうものだろうか? しかし、それを読んだ10代の僕はひじょうなリアリティを感じたものだった。今ならば、環境への適応というくくりにしてしまうかもしれないが、それはそれで「恐るべき」という枕詞をつけたくもなる。
げに人間というのはその自在さにおいてほんとにすごいものだなと思う。

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