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今年もよろしくー銀座の銀杏のご挨拶ー

 遅ればせですが、明けましておめでとうございます。

 年末年始は嫌というほど自堕落に過ごしてしまったなあ。何もすることがないのでそれは仕方ないのだが、新年早々、坐骨神経痛が出たのには少し参った。でも、今回の痛みは右太腿の裏側だけだったので、ひょっとしたらこの神経痛も少しは良くなっているのかもしれない。これに比べれば、頸椎から来る痛みや痺れはそんなに苦痛ではない。

 で、今週久しぶりに電車に乗ったのだが、銀座に来てちょっと驚いたのは、鍛冶橋通りや昭和通りのイチョウ並木がほぼ落葉していたことだった。年末には、道行く外国人が足を止めて記念撮影していたほどに見事に生い茂っていたのにねえ。

 思えば、銀座のイチョウを見ることで僕は一年を感じている。春には小さな緑色の葉っぱをつけ、それが次第に大きな葉となっていく。秋には黄色づき始め、銀杏の実を落とす。そして厳寒になれば葉を落とす。 

 前にこのコラムで書いたことだが、イチョウは全世界的には絶滅危惧種であり、こんなにイチョウの木があるのも日本くらいのものなのである。とりわけ東京のイチョウは数多く、そして大きいのではないか。東京都のシンボルマークはイチョウ。東京都とイチョウとの間にはただならぬ関係がありやなしや?

 イチョウは江戸時代あたりに盛んに植樹されたらしい。と言うのも、イチョウは火に強い木だからである。水分が多く、油分が少ない。だから延焼防止のためにたくさん植えられたようだ。江戸時代、火事はもっとも恐れられていたからね。ちなみに、関東大震災のときの火災から浅草寺を守ったのも浅草のイチョウだったらしい。すごいな、イチョウ。

 僕はあまり覚えていないのだが、昭和41年、シンボルとしての「都民の木」を指定しようということで、都民の投票が行われた。候補となった木は、ケヤキ、サクラ、イチョウの3つ。さてあなたならどれがいいと思うか? 

 何というか、今だったらサクラが選ばれそうな気もするけど、ここでイチョウが選ばれたのは当時の都民の慧眼と言うべきだろうか。サクラもまた全国の中で東京が圧倒的に多い木ではあるし、その美しさは誰もが認めるものではあるけど、やはり一年中愛でられるものがいいんじゃないかと思うよね。そして火災に強いというのもやっぱり大きかったのかな。

 とにかく当時の僕は大人ではなく、投票権がなかったので、そういえばそんなことがあったかなというくらいしか覚えていないのである。でも、東京で、選挙以外での投票なんてこれ以外ないんじゃないの? それだけでも何だかすごいイベントのような感じだ。参加したかったなあ。

 ひとつ、サクラが落選した理由をあげるとすれば、ちょうどその当時のことだったが、サクラの木にはとんでもない害虫が巣くってしまったことがある。その名もアメリカシロヒトリ。北アメリカ原産の外来種の蛾で、その幼虫が木の割れ目などに入って越冬するのだが、もう見た目がとんでもなくおぞましい毛虫なのである。その毛虫が一本のサクラに数え切れないほどウジャウジャする光景は、ああ思い出したくもないね。気の弱い女性なら卒倒するかもよ。これが東京で大繁殖したのが昭和40年か41年くらいだったような気がする。この出来事は案外大きかったのではないか。普通ならサクラが選ばれるような気がするんでね。

 でも、イチョウで良かった、というよりもサクラを選んでたら、「サクラを東京で独占するんじゃない」と全国から恨まれるんじゃないかと思うんだよね。イチョウならそうはならないでしょ。しかも浅草寺を守ったなんてのは、今のインバウンド需要から考えてもすごい貢献だよね。

 イチョウとサクラは実に対照的だな。江戸時代イチョウは災害防止のために植えられ、サクラは、堤防補強のためもあるのだが、多くは家族の慰みとして大名が屋敷に植えた。どちらも良い役割を担っているのだが。

 そして、これを投票で決めるっていうのもなかなかいいよね。今では何でもかんでも何とか委員会で決めちゃって、そこにはだいたい賄賂とかが絡むわけで、そうやって決まった結果は誰もが?となるものばかりでね。たとえば、五輪のシンボルマーク決めるときとかね。 昔の政治家はもっと庶民のほうを見ていたと言うことかな。

 とにもかくにも、今年がスタートしました。年々ポンコツ化が進む所長ではありますが、本年もTCCをよろしくお願い申し上げます。

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