菅野所長のエッセイ:デモのある社会

 明日は法研のゴルフコンペがあるので、今週は今日まで。このコンペは毎年暑い上に、歩きなので、座り仕事の僕には分が悪い。で、途中まではよくても、残り3ホールくらいで崩れるのが常である。先週は関西でゴルフをやってきたが、暑くて、コースは難しいわで散々な目に遭った。そういう目に遭うためにわざわざ関西まで行ってきたわけで、自分のバカさ加減を思い知るのだが、決してそういう自分が嫌いではない。僕にとって自分のバカさを確認するのは大事なことなのである。

 昨日は、ヤングなでしこの日韓戦を録画で観た。DF陣にはかなり不安があるものの、攻撃力はなかなかだ。ナイジェリア、ドイツもいるけど、たぶん攻撃面の実力的には世界一ではないのか。韓国も決して弱くはないので後半は攻めきれなかったが。国立の入場者数は24000。スイス戦が16000人だから、注目度も上昇。準決は30000越えるだろう。決勝まで行けば日曜だし、50000人も夢じゃないのでは。でも、このチームにはそれくらいの価値はある。よくもまあ、こんなチームが育ってきたものだ。

 こうした数字は主催者発表だが、多めに発表するのが当たり前。東京ドームでの巨人戦の水増しは一時期ひどかった。では発表以上に観客がいる場合なんてないだろうなと普通は思うが、先日は例外を見た思いがした。オリンピックメダリストたちのパレードである。主催者発表50万人だが、あれは50万人できくのか? ちょうど、TCCからすぐの「銀座通り口」からスタートして8丁目まででしょう。いつも歩く銀座通りだからわかるし、交差点ごとに十字に人にあふれる状態。とんでもない数ですよ、あれは。
 と言いつつ、確信が持てないのは、50万人もの人が集まった光景など見たことがないのでね。現天皇が皇太子のときの成婚パレードのとき以来ではないのか、僕もよく知らんけど。とにかく、あの企画は大成功。当然4年後もやるだろう。ひょっとしてメダルよりも選手のモチベーションを上げるかもね。でも、「代表になった人たちも参加させてもいいんじゃないですか?」という優しい発言もある。ま、そういう考えがあってもいいが、僕は反対ですね。

 原発のデモも一時期よりは減ったが続いている。最盛期で主催者が5万とか7万とか言ってたときに警察発表は5千人だもんな。見たところ、確実に数万はいたね。そうやって反対派は過小に言うのも普通だし、そもそも当初マスコミがほとんど取り上げなかった。 今のマスコミはあまりにも露骨な翼賛で、原発推進、消費税賛成。そして小沢つぶし。しかし、もう多くの人がだまされなくなったね。日本で動いているのは大飯の3号機、4号機だけ。そしてこれがなくても電力は足りるということもこの夏証明されたし。消費税を上げてもそれは社会保障には行かず、公共事業という名のばらまき、土建国家体制の復活に費やされるだけということもはっきりしているし。

 まったく何でこんなことになっちゃうのかと思うのだが、諸悪の根源のひとつは松下政経塾かなとも思う。この連中はそもそも社会に出たこともなく、ただ机上の政治だけ。自民党から公認されず、しかし政治家になることしか頭にないので民主に入り、権力を握ったらひたすらその座を守るだけが目的となる。だから、マニフェストを実行することなどあまり重要ではない。一見リベラルに見えるのだが、体質は根っからの自民党と言ってよい。

 ましかし、国会を取り巻くデモは効いた。さすがに、原発ゼロの選択肢も口にするようになった。「デモなんかしても社会は変わらない」とは、60年代、70年代のことを念頭にすれば分からなくもないのだが、しかし、柄谷行人は「変わる」と断言する。それは「人々がデモをしない社会」から「人々がデモをする社会」と変わるということだ。いつもながら柄谷さんはさすがだ。「漱石試論」の頃以来、昔から僕は感心しっぱなしだ。

 中国では反日デモが盛んだが、それは当局にとって都合がいいからで、現実は同窓会を開くときにも調査が入る。つまり本当のデモではない。むかし、ベトナム戦争時のアメリカでは国内で戦争反対のデモがあった。そういう社会こそが健全である。となると、日本はなんとも言えないところがある。大使館の車が襲撃され、中国では「愛国無罪」が叫ばれる.それを見て日本人はカッカと来るわけだが、尖閣での中国漁船の体当たり映像を漏出させたしまったとき、日本でも同じように「愛国無罪」を訴えた人が多かったのではないか。あまり変わらないなあ。

 それにしても、「強国」である日本が、中国を始め、近隣の国に侵攻したときと、約70年の歳月を経て今や逆転してしまったなあ。「強制送還」させるのはいいとして何もファーストクラスにすることはないだろと思うが、結局、国が弱いといろいろ理不尽な思いを余儀なくされるということだな。あの頃、中国も韓国もさぞかし理不尽な思いを味わったのだろうなと思う。しかし、そんなことを繰り返す歴史にも、人間の心にも嫌になるなあ。

 柄谷さんの話だが、もう10年以上も前、実際にお会いしたことがあるのだが、予想以上に抑うつ的な感じの人だった。たぶんこの人はすべてのことに深く絶望していて、しかし、その絶望を棚上げして生きている人ではないかなと僕は勝手に思っている。そうした境地から見えるものは、他の人とはちょっと違うのだろうな。

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