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そこに知恵はあるんか? -平和の礎石その②

 女子サッカーアジア杯で、日本が優勝したのはいいんだけど、今後のことをいろいろ考えさせられるゲームだったなあ。

 決勝の相手は開催国のオーストラリアだったのだが、入場者数が何と7万5000人。オージーで埋め尽くされた完全アウェー。しかも、豪が中3日、日本が中2日という日程で、すべてがオーストラリア有利。そんな状況で勝ったのは立派だったが、内容的にはお寒かった。とくに後半は押しまくられ、1-0の辛勝。前半の浜野による決勝ゴールは、見事ではあったが、多分にラッキーでもあった。別に相手を崩して奪ったものでもないしね。

 僕としては、このチームは久々にW杯で優勝する可能性があると思っているので、アジアならどのような状況であっても楽勝していないといけないと思っている。だから厳しい物言いになるわけ。

 良かったことは、やはりあの雰囲気の中で勝ちきったことなのだが、一方で、2年前、五輪出場を賭けた北朝鮮戦、日本のホーム新国立での一戦に2万人しか来なかったことを思うと、この国の女子サッカーに対する熱量の低さに失望するのである。一方、オーストラリアでは7万超の集客、アメリカとかイギリス、スペインなんかの国内リーグはいつもスタジアムは満杯だぜ。今回、日本での放送もなかったしね。僕は急きょDAZNに加入したから観られたけど。つまり、もう少し女子サッカーに対する支援を厚くしないとマズいと思うんだよね。アンダー世代から何から、男子以上に強いのになあ。

 もっともニールセン監督ではダメかもね。選手起用が完全に間違ってる。せっかく長谷川、山下、谷川と世界有数の選手がいるのになあ。そこに知恵は見えない。

 とくに谷川については、ニールセンがその偉大な才能をいまだに理解できないようだから呆れる。森保が久保を使わなかったときと似てるな。つくづく監督っていうのは器だね、その器をはるかに超える選手のことは見えないのだろう。世の中の上司とか教師もそうだな。親もか。

 アジア杯決勝で出番のなかった谷川だが、昨日の女子ヨーロッパ・チャンピオンズリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦で、後半0-1で負けているところで途中出場。それでたちまちワンアシスト、ワンゴールしての逆転勝ちである。最高峰のステージで一人舞台の活躍。ニールセンよ、古くてよく見えない眼鏡を替えたまえ。何ならコンタクトにしたらどうか。

 話を少し戻そう。

 WBCでベネズエラに敗れたときも、ベネズエラの強さと完敗であったことを率直に認める姿勢もひじょうに潔いものとして海外から評価されたようだった。よほどの完敗でもしない限り、こういったことができる国は少ない。日本人は惜敗でもできるんだよね。WBCで、アメリカチームは決勝敗退後の表彰式で、多くの選手が首にかけられた銀メダルをすぐに外してしまったよね。日本人的には、非常に失礼な行為に当たるし、基本的にはそれは海外でも同じなのだが、そんな礼を守れる国もあまりないのである。

 さて、高市首相が「平和と繁栄をもたらすのはドナルドだけ」と言った。この言葉について、「ごますり」「媚び媚び」と思う人も多いことだろう。僕はそう思う。

 本気でそう思っているとすれば狂信者だからね。アメリカの国防長官のようにね。まさかそこまでではないだろうから、つまり、とてもわかりやすい嘘なのだ。そういうのって、曲がりなりにも独立した国の首相としては、品位、品格に欠ける言葉ではなかろうか。誇りがないとも言える。

 しかしながら、政治的には、なくはないと僕は思っている。なぜなら、誰もが承知しているように、「品位」とか「品格」という概念や言葉は、トランプの前では何の意味も成さないからだ。品位や品格を示して正論を述べるよりも、「ドナルドだけ」という、従属と忠誠を誓う高市首相の言葉は、半分は嘘であっても、トランプには届くのである。日本が従属と忠誠の意思を示しつつ、去年約束した88兆に加え、さらなる朝貢を約束した。これにより高市はトランプから「愛い奴じゃ」と思われたことだろう。

 独裁者が欲するものは、尊敬ではなく、従属であるからして。

 けれども、はたして、これが高市が言うところの「したたかな外交」ということなのか? これを政治的な成功と言えるのかどうか? まあ成功の大部分は朝貢、つまり金の力なのだが、それで解決させるのなら、誰が首相でもできるんじゃないかと思わざるを得ないんだがね。予算が足りなくなれば増税で解決、というのも同じでね。

「したたか」とはまったく思えない。とにかく妥協、妥協の産物ではある。でも、それが悪いわけでもない。近代の国際政治において、できるだけ敵対や戦争を回避しようとするためには、妥協が不可欠だからだ。しかし、転がって腹を見せ、忠犬を振る舞い、そして向こうが満足する金を出す。不良に絡まれた気の弱い中学生みたいだよね。

 ただし、そういう中学生にも言い分はある。ああいう状況だから、ああいう相手だから「しかたないよ」と。そういう言い分でもって、悔しがることをしない。そこには妥協が成立しているからである。

でも、それをもって「したたか」とは言わんよね、世の中一般では。

その行動の奥に、何か秘策があるのか?

そこに知恵はあるんか?(大地真央風に) 

 歴史的にとても珍しい,そんな知恵が見える政策が、アイゼンハワーの”ピープル to ピープル”ではないかと、先々週触れた。日本スポーツの品格、あるいは高市外交を前振りとして、今回はこの続きを見ていこう。

 長崎市は日本初の姉妹都市を締結した都市であって、その相手はアメリカのセントポールだった。では、2番目はと言うと、1957年、仙台市である。お相手はカリフォルニア州のリバーサイド市。現在の人口30万超、わりと大きな都市だ。この二つの都市間には興味深い経緯がある。

 リバーサイドは奴隷制度撤廃論者であるジョン・ノースという人が開拓した土地で、相当にリベラルな気風があったと思われる。ちなみに、ノースがリバーサイドの前に開拓しているのが、奇しくも長崎と姉妹都市となったセントポール市の近郊でもあったから、セントポールとリバーサイドは土地柄として似ているのではないかと察する。この二つの町が、アメリカでも先陣を切って日本の都市と友好関係を築くことに努力したのも偶然ではないようだ。

 さて、リバーサイドであるが、こちらはセントポールとはかなり違う経緯である。

 当時アメリカには大学婦人協会(1946年設立のNGO 現在の呼称は大学女性協会)というものがあって、女性の高等教育に対する支援活動を世界的に行っていた。戦後の日本でも各地に支部があったそうだが、友好都市の締結をする数年前、リバーサイドから来ている会員の夫(軍人)が仙台の病院に入院したところ、仙台支部の日本人たちがこれを見舞った。これに感動したリバーサイドの協会支部は、仙台という都市と人に友情を向けることとなり、東北大学に通う女子学生に対して奨学金制度を設けることにした。リバーサイドと仙台市との間には、このような奨学金制度や交換留学の歴史が刻まれることとなったのである。

 おそらくは、そのような経緯を踏まえて後に、いち早くセントポール市が長崎と友好都市となるというニュースが飛び込んできた。セントポールと進取の気風を共有するリバーサイドであるから、自分たちも日本と友好を結ぼうかと考えていたのではないか。そして、1956年、アイゼンハワーの”ピープル to ピープル”プログラムが発表される。これは大きな後押しとなったはずである。長崎のように、いかにも平和友好を象徴するような相手ではないが、すでにかかわりの深い仙台以外にはないと、早々の決定が下されたのではないかと思う。

 長崎や広島が友好都市の相手として望まれるのは理解できる。が、それよりも仙台市とリバーサイド市との関係のように、もとからの深いつながりや友好的なかかわりがあることによって結ばれるほうが理想的ではあるまいか。周知の通り、アメリカはイギリスを中心としたヨーロッパからの移民の国であるが、そのアメリカの各都市がいち早く姉妹都市の関係を結んだのは、自分たちの故郷や同名の町とのことである。たとえば、ニューハンプシャーとかニュープリマスとかは。もともとのイギリスの地名に「ニュー」をつけたものである。他には、「ボストン」「ベルリン」といったそのままの地名をつけたケースもある。何の縁もゆかりもないよりは、こうしたつながりがあるほうが友好関係づくりもスムースに行えるのが道理ではあろう。

 そんなアメリカ、あるいは欧米とは違い、日本はそもそもの関係やつながりが薄い国ではある。そんな日本に対して、まるで開国を促すかのようにアメリカが友好都市の縁組みを持ち込み、アイゼンハワーのプログラム発表後には、アメリカの姉妹都市活動はさらに活発になっていった。そんな中で、アメリカとの関係から始まった日本の各都市も、ほどなくして世界との交流を活発化していくのである。それは政治上の下心もなく、経済的な損得も考慮しないような、一般市民による善意の交流なのである。政治家が考える大文字の外交ではなく、商人が考えるような大文字の貿易でもないのだ。

 こんな政策、こんな方法が他にあるのか、あったのか、ないんじゃないの? こういうことが、数々の戦争を経験して、平和な世界でありたいと思う人間の叡知というものではないかなと僕は思うのだがね。

 しかし、たぶん僕たちの知らないところでものすごい成果を上げているはずの姉妹都市活動だが、何かうまくいってない感じだよね。世界は全然平和じゃないし。そういった話は来週にしてみよう。

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