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したたかな国-平和の礎石その④

 イングランド戦の勝利の興奮がなかなか冷めやらない。それで、この試合にまつわる動画をたくさん観てしまう。でも、まあどれも同じようなことばかり言っているのだが、唯一「発見」したことがあった。

 前回W杯から続く快進撃。ドイツ、スペイン、ブラジル、イングランド、日本代表は次々にとんでもない強豪を負かしてきましたねえ。さてこの4カ国との試合で、すべてでスタメンだった日本選手は誰か?というもの。

はて? 今回、遠藤、久保、南野はいないし、富安でもないし、堂安か?三苫なのか? よく分からない。

と思ったら、

 答えは鎌田大地。

 ああ、そうかあ。そうだったのか。まあ鎌田なら当然かとも思うし、意外と言えば意外だ。

 そもそも今の日本代表には突出した選手というのはいないからね。かつては、中田ヒデ、中村俊輔、本田圭祐など、世界レベルの選手というのは、各代表世代に一人か二人しかいなかったんだよね。今は全員が世界レベル、だから誰かが突出することもない。

 鎌田はプレミアのクリスタルパレスの押しも押されぬ中心選手、鎌田が加入したおかげでパレスは強くなったくらいだ。もちろんそれは鎌田が世界クラスの選手であることを意味するのだが、ボランチであるし、そんなに派手なプレーぶりでもないしね、マンオブザマッチなんかは他に持って行かれる。イングランド戦の三苫のようにね。あるいは同じボランチでも、佐野海舟なんかは金髪だしプレーも派手だし、あの遠藤だってごつい相手とゴリゴリ競ることが多いから案外目立つのである。記憶をたどれば、鎌田って一度も髪を染めたことがないよな。細いし、黒毛だしで、とにかく地味なほうではあるのだ。

 でも、これらの大事な試合のすべてでスタメンというのは、代表にとって鎌田がいかに重要な選手かを示している。すべての試合でスタメンかあ。ああそうか、代表の基盤を最も支えているのは鎌田なんだな、と思ったわけである。「大地」という名前にふさわしい。

 これを知って良かった、としみじみ思う。

 何でかというと、今の代表の選手はすばらしい選手が多くて、その中でも、三苫、久保、伊東純也、中村敬斗みたいに、ついついそのキラキラしたプレーに眼を奪われがちになる。そんな自分にとって、いぶし銀のような技術でチームを支える存在に気づくのはいいことだと思うのである。そうだよね、オシムさん。風の中の昴~、中島みゆき「地上の星」みたいなものなのだ。

 それはつまり、歴史の表舞台に立った政治家たちの外交ではなく、地方行政や市民たちによって、静かに、そして地道に積み重ねられる国際的な交流の意義について考えていくことと重なることだからだ。

 前回は、日本にとって初体験となったアメリカとの姉妹都市提携から、日本がアメリカ以外の国との関係を築いていくところ、とりあえず現在関係が難しくなっている中国との関係に触れた。今回はそこをもう少し深掘りしたいと思うが、その前に「姉妹都市」について説明しておこう。

 「姉妹都市」という通称は、1950年代の終わり頃から使われることになったのだが、その大きな理由は英語圏では、「都市」は女性名詞であるからだ。英米仏独あたりは「姉妹都市」がすっと入る。しかし、たとえばロシア語圏では「都市」は男性名詞であるので「姉妹都市」はあまり受け入れられない。だから、姉妹都市=Sister CityもTwin City(双子都市)となったり、単に「友好都市」となったりするわけである。

 では漢字圏はどうか、それは日本と中国なのだが、「姉妹都市関係を結びましょう」と言っても、そうスムースにいかないのが中国なのだ。もちろん「姉妹都市」は通じる。その内容も意義もだいたい分かる。しかし、姉妹の関係を結ぶのはいいが、その場合どっちが姉でどっちが妹なのだということにこだわるのである。それが中国という国なのだ。日本人だと、まあ、どっちでもいいじゃん、となるのだがね。

 中国は「4000年の歴史」を誇っているわけで、「姉妹」なんてことを言われたら、世界のどの都市よりも自分のほうが「姉」だと主張するだろう。そうじゃなきゃ提携など結ばないと駄々をこねる。たぶんそうなるよねえ。ほんとに面倒な国である。でも、そういう国だからと理解し、「姉妹都市」ではなく「友好都市」という名称でいくことにする。それなら何の問題も起きない。

 どっちが姉か妹か、つまりどっちが上なのかにこだわる、それはひとつの文化的なありようであり、それをつまらないことだと思うのもひとつの文化である。異文化を理解すること、付き合うこと、中国を理解すること、中国と付き合うということにおいて、まずこの辺は押さえておかなければならない。われわれ日本人は、逆に世界的にも珍しいくらいそういうことにこだわらない。どっちが姉だっていいじゃん、となる。でも、自分たちがこだわらないからといって、こだわる人たちを見下すのもどうか。異文化あるいは「他者」というのはそういうものなのだ。

 そういう違いがあるにしても、多々気に入らないところがあるにしても、それを乗り越える、そして関係をつくる、それが人間の叡知というものではないのか。それを現実世界の中で体現しているもののひとつが「姉妹都市」ではないのかと僕は思っているわけである。アイゼンハワーの唱えた”ピープルツーピープル”プログラムにはいくつかのプランや施策があったのだが、生き残ったのは「姉妹都市」だけということを見ても、この発想がいかに優れていたか分かるというものだ。

 さて、先に紹介したように、中国との友好都市提携は、日中国交回復を受けて、1973年神戸市と天津市との間によって始まった。中国が他国と友好都市の提携をしたのはこれが初めてのことである。アメリカ(セントポール市)が日本を「開国」したように、中国を開国したのは日本だったのだ。

 同じ港湾都市である神戸と天津だが、当時、その港づくりの技術や港湾事業の運営など、そのレベルは神戸が圧倒的に上だった。そして神戸市は技術者を派遣したり、天津からは神戸に「留学生」を送るなどして、神戸市は惜しむことなく天津市の発展に助力するのである。地方行政や市民同士の交流がいかなるものかをアメリカが日本に示したように、日本もまた中国に対してきわめて善意で親切な交流を開始した。このような始まりがあって、中国国内でも姉妹都市の有益性が理解されていったのではないか。

 中国にとっての有益性とは、文化的な交流と言うよりも、さまざまな技術の輸入など実益に絡んだことではある。その貪欲さについては、日本以外の国ならすぐに辟易とするのだろうが、日本は善意と友好の姿勢を崩すことはなかった。一言で言えば、お人好しなのである。そもそも日本は中国へのODA最大の拠出国であるわけだが、友好都市関係における助力や貢献もそれに劣らないくらいのものではないのか。日中の国交回復という「偉業」を成した政府の後押しもある中、日本においては中国との友好都市を増やそうという機運が高まっていき、その有益性を感得している中国もそれに呼応していくのである。

 ただし、諸外国と中国とでは、その決まり方が違う。中国では、地方都市が自分たちの判断で友好都市を決めることはできない。だから、中国との友好都市提携を望むならば、共産党の中枢部、渉外関連の部署に相談し、そこから推薦された都市を選ぶという手順を踏むことになる。これだけとっても、世界の姉妹都市の考え方とは一線を画するのである。

 日中の国交回復が成った1973年に名古屋市長に就任した本山政雄は、中国との姉妹都市提携に情熱を傾けていた。名古屋市は訪中団を組織し、75年、76年、78年と中国を訪れ、姉妹都市提携を打診した。そして、78年の訪中時、中国側から推薦された年は南京市だった。

 中国との友好を念願としていた名古屋市もこれには困惑した。はたして、南京の市民は日本との友好を受け入れるのだろうか? それはそうだろう。現在は中国側の発表では30万人が虐殺されたとした「南京事件」、おそらく1970年代では「2~3万人」という数字が示されていたと思うが、それでも中国国民、南京市民にとっては忌まわしい記憶として残っているはずである。

 そして、訪中団の中から数名が南京を訪問したところ、意外にも、現地で大歓迎を受けたのである。これがほんとの大歓迎なのかどうかは分からない。中国という国であるから、中央の意図が「日本を歓迎せよ」というものであれば市民はそれに従うだろう。あるいは、戦後10年が経過した被爆都市長崎が、アメリカからの姉妹都市申し込みにさほど抵抗がなかったように、30年も経てば中国の市民の感情も様変わりしていたのかもしれない。あるいは、虐殺などはなかったと思っている人もいるのかもしれない。

 真実がどこにあるのかはまるで分からないけれども、名古屋市とすれば、この提携は可能だと思ったのである。そして、78年の12月には南京市からの友好訪日団19名が名古屋市を訪れ、提携の調印式を行ったのである。

 そうやって名古屋と南京との間では、活発な友好活動が開始された。提携の翌年には、南京から名古屋に技術者が訪問して、電子工業などの企業視察、あるいは都市建設の代表団が来て、下水処理場や高速道路などのインフラの視察を行っている。一方で、名古屋からは婦人バレーボール団が訪中し、親善試合をするなどがあった。これひとつ見ても、友好都市に対する考え方がまったく違うことが分かる。

 名古屋と南京間では、1990年以降毎年20回以上の相互訪問団の派遣、交流があった。2008年には、提携30周年が両都市で盛大に行われ、南京では「名古屋デー」が開催され、名古屋では「南京デー」が開催された。名古屋からは120人の市民が「名古屋デー」に参加し、「南京デー」には1300人の来場者があった。これって、なかなかすごいことではないかい? 名古屋と南京との間には、教科書にあるような「南京問題」なんて吹き飛んでしまっているのではないか。当初は、国の意図が強いものだったとしても、このような市民同士の交流によって、まさに恩讐を越える関係ができあがっていったのではないか。

 ところが、2012年、一挙に暗転する。河村たかしが「南京事件はなかった」と発言。これに中国は激怒し、日中関係は悪化の一途をたどった。

 当時、日本では右派の発言がメディアにかなり露出するようになっていたのだが、その敵意はおもに中国と韓国に向けられるものだった。今でもそうだが。とくに中国の「南京事件」、韓国の「慰安婦」「徴用工」は日本の歴史的な犯罪として政治利用されるものである。周知のように、中国や韓国は反日教育によって国民を洗脳している国ではあるから、これらもほぼいちゃもんではある。

 「南京事件」については、その数字がひじょうに怪しく、さっき書いたように、昔は中国も数万と言ってたのが、いつのまにか10万、20万と増えていき、今では30万となってしまった。戦争であるので、そりゃ兵士は死ぬだろうし、市民も巻き添えになることもあろう。あるいはほんとに一般市民に対する虐殺もあったかもしれない。ベトナムでアメリカ兵や韓国兵などがやったみたいにね。それでも、当時の人口規模からして、30万とかはありえない。中国や韓国は平気で事実をねじ曲げる国でもある。そんなことは僕も分かっている。

 河村たかしは「中国政府が言うような大きな事件ではなかった」と後で弁明したが、問題はそこではない。彼が愚かでバカなのはそこじゃない。

 問題なのは、河村が名古屋市長だったということである。1973年からの友好都市である南京市との関係を破壊してしまったのである。河村が名古屋市長でなかったら、こんな発言はいくらでもしていいけど、こりゃダメだろう。一生懸命南京との友好を築き、ひいては中国との友好にも関与してきた歴代の名古屋市長たち、そして数多くの市民たち、市の職員たちの努力をあっと言うまに無に帰したのである。この愚かな政治家はどのように断罪されるのがいいのだろうか。

 ということで、この悪化した関係をさらに「台湾有事」で悪化させてしまった高市首相、ちゃんと考えたうえでの発言だったのかどうか? あえて石を投げ入れたのなら,その回収のプランはどうなっているのか? んー、そういう感じじゃないよね。河村たかしみたいに、正しいことを言おうと思ったんだよね。でも、立場ってものを考えないとね、したたかな国には政治利用されるだけだぜ。どこかのへっぽこ大臣あたりにこれを言わせて様子を見れば良かったんだが。

 習近平なんか相当したたかではないかと思うんだよね。かつて彼は、福建省や浙江省のトップだった。その頃、友好都市関係(この場合、省と県)で、訪日団を率いて沖縄と静岡に来ている。こういった種類の交流や外交があることもちゃんと分かっている人間なのである。したがって、大きな外交の、水面下で動くものも理解している。もちろん国力という要素は大きいんだけどさ。

 今回、アメリカとイランの停戦の仲立ちとなったのも最終的には中国だった。途中まではパキスタンと言われていたけど。でも、こんなこともできる。これによって、中国は国際的に大きな立ち位置を得たのではないか。とくにアメリカとはあっという間に距離を縮めたかもしれない。「オーストラリアや日本は何もしてくれなかった」とトランプから名指しで言われた高市さん。「したたか」という意味をかみしめないとね。

まあしかし、何度も言うように、僕は中国が嫌いなんだけど。

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