桜が散って、すぐにツツジが咲き誇り、すでにもう下火だ。春はめまぐるしく、先日は5月の初頭だというのに真夏日を観測するありさまだ。一方で奄美では梅雨入りしたというから、しばらくすれば東京もアジサイの季節になるのだろう。今年の夏も暑いという予想である。身体には気をつけないとな。
さて、一般的にはゴールデンウィークも終わったところだ。僕が何をしていたのかというと、4,5,6日と仕事場に来てました。珍しくやることがあって、これが楽しくもあるのだが、なかなか終わらない。何とか10日までには終わらせたいものだ。
実は、僕が長くかかわっていた大学の相談室関係で、その学会が今年で70周年なんだって。それで、学会の歴史を振り返りたいらしいのだが、学会が大きく様変わりした頃の事情を知る人が僕ぐらいしかいないようなのだ。確かにね、僕がこの学会に入ったのは40年くらい前、30代前半と若かった。当時の理事はほぼみな故人だろうね。僕だけが抜けて若かったと思う。
というわけで、3月末にインタビューが行われた。元理事長の齋藤憲司氏(元東工大、元東京科学大)と、阿部和香子さん(昔麗澤大)、桶谷さん(初対面、名前分からず失礼、東京科学大)の3人がいらした。齋藤氏ももう年だから現場からは引いているが、私のことをよく知る人なのである。年賀状のやりとりだけで長い間会っていなかったが、年下だけどすごく尊敬している人で、個人的に大変な恩義を感じている人でもある。
さてインタビューだが、いまから40年前のことで、覚えていないこともあったけど、基本記憶力はいいほうなので、ほとんどは昨日のことのように思い出せる。苦労したからかなあ。よく覚えているもんだから、興が乗ってしまって3~4時間もかかってしまった。まあ、飲みに行くまでに時間がたっぷりあったのだが、それでも年寄りの繰り言ではあるからさぞかし迷惑だったろう。これだから年寄りはダメだ。
後日、この録音を起こしてもらったものが届いたので、今度は僕自身がこれをリライトしなければならない。テープ起こしもリライトも、むかしはたくさんやったからなあ。慣れていると言えば慣れてるのだが、その中身が大変。何しろ、テレビなら「ピー!」が連発するような、文章なら黒塗りだらけのり弁原稿みたいな、そんなネタがすごく多いのである。とても人任せにはできるものではない。
で、空いた時間はせっせとリライトに励んでいるのだが、昔よりも集中力や耐久力がないせいか、目論見よりも自分の仕事ぶりが遅いのである。2週間あれば十分だと思っていたのだがね。
そういうわけで、GWを利用して仕事場に来ていたわけである。昔から、休みの日に仕事場に来るのが好きだったんで、久しぶりになかなかいい時間を過ごせたかな。誰もいなくて,静かで、集中できる。家のノートパソコンではキーが打ちづらいが、仕事場のデスクトップはキーが深くて打ちやすい。仕事が進むんだよね。ああ、そういえば、昔は、夜の9時くらいになってみんなが帰ってからが自分の原稿仕事の時間だったなあ。
何というか、こういうことをやっているからか、いろいろと古い記憶が引っ張り出されてくるなあ。今回インタビューに来た齋藤さんと阿部さんだが、昔は飲みに行ってカラオケなんかも行ったよなあ。阿部さんが歌うアイドルソングがほんとうに抜群なもので、何度もリクエストした覚えがある。
3日間も仕事場に来てたわけだが、それとは違う目的もあった。
松尾芭蕉「花の雲 鐘は上野か 浅草か」という句があるでしょ。去年、このコラムでも紹介したよね。江戸時代は、芭蕉の住んでた深川近辺に浅草や上野の時の鐘の響きが届いていたわけである。直線距離にして5キロくらい。にわかな鐘の音マニアの僕ではあるが、2026年のいまでも鐘の音が聴こえるのかどうか、ずっと気になっていたのだった。そこで、朝の六時に深川に行き、聴こえるかどうか検分しようと、それが終わったら仕事場に行こうというプランを立てた。
まずは5月4日だが、この日は強風で天気が良くないということだったので、お昼から銀座に来ただけ。翌5月5日、天気が良いということなので決行。4時頃起きる。外に出ると、風が強くて寒い。北風なのだ。これが南風なら暖かいだろうが、それなら行く必要がなくなる。冷たい北風だが、これは浅草から深川へと吹く風なのである。チャンスである。相当ラッキーかもしれない。で、震える身体で歩き、5時6分の始発に乗って、都営地下鉄森下の駅に向かう。到着が5時50分前でちょうどいい。しかも日が差して、もう寒くもなかった。
駅から歩いて5分くらいのところに芭蕉記念館があった。芭蕉の庵があったところはまだ先だが、もうすぐ6時なのでこの辺で聴こうとなった。でも、風景を見てけっこう絶望である。マンションやビルばかり。これではいくら追い風でも聴こえるはずもないだろうな。案の定、6時ぴったりの鐘の音はまったく聴こえてこない。
この場所では絶対に無理だと悟り、急ぎ新大橋通りまで出て、左手の隅田川の橋のたもとまで行く。すると、川幅の分だけ空間が広がっているではないか。これならひょっとして思う。浅草寺の鐘は8回鳴るので、時間的にはあと2~3打鐘は残っているはずだ。ということで、隅田川の上流に顔を向けたのだが、まさにそのとき横から声がかかった。
「イクスキューズミー」
ん? これは外国人だな。道を聞かれるのかなと思った。そうだとすると、僕はこの辺は不案内なので困っちゃうなと、心中では直ちに困惑した。
見れば、人の良さそうな男性の観光客が一人、スマホを差し出して、僕に写真を撮ってくれないかと言ってきたのである。隅田川をバックにしたショットが欲しいようだ。オーケーと言って、何枚か撮ってあげた。彼は良い感じでお礼を述べ、これからフィッシュマーケットに行くのだと言う。「ああ、築地のことだね」「良い旅を」と言って別れた。早朝で声の出はあまり良くないのだが、何とか通じたようだ。
それにしても、ここは新大橋のたもとだ。ここから築地まで歩いて行くのか、僕よりこの辺の地理に詳しいんじゃないか? そもそもこんな駅に一人でいるなんてのがね。けっこう旅慣れた人だったんだろう。ちゃんとした声が出ればもっと話をしてみたかったな。
そういうことがあったので、鐘の鳴る時間は完全に過ぎてしまった。だけど、地形をよく見ると、隅田川は上流のほうで左折しており、その先の方向はやはりビルやマンションで遮られている。今の時代、どうあっても聴こえはしないのだろう。浅草寺の鐘楼は地上2~3メートルだものね。江戸時代ならともかく、いまでは一キロ先だって届くかどうか怪しい。
その足で銀座の仕事場に着いたのがまだ7時である。
椅子に座って思った。あっ、そうか。こんなことを考えるのは僕一人のはずがない。いままでもこれを実地検分した人がいるはずだと、ということに思いついた。もし聴こえるなら絶対ユーチューブに上げてるはずだよね。バカだなあ、何でこういうことを考えなかったんだろう。観て楽しむばかりで、その活用について分かってなかったということだな。
で、調べてみる。すると、東京でそういう形跡はなかったのだが、滋賀県の三井寺の鐘はどこまで聴こえるのかの実験をしてる人たちがいた。やはり好事家がいるもんだ。すると、1,4キロ先のJR大津京駅までは聴こえたという結果である。冬場はもっとその距離が伸びるのではないかとも言われている。ああそう、滋賀でそれくらいか。東京みたいに高いビルがぎっしりで、電車も車もたくさん走り、エアコンなんかの生活音もうるさいところでは、やっぱり1キロはもちろん、500メートルだって怪しいかも。
睡眠不足もあり、空振りもありで、ちょっと疲れたので、お昼前にデパ地下でお弁当を買って帰った。リライトはあまり進まなかったね。残念。
それにしても、つくづく思う。江戸時代はほんとに静かだったんだろうなと。とくに朝の6時、明け六つなんかは。上野や浅草の鐘が芭蕉の住む深川まで届き、江戸城まで届いていたんだからな。よくある話で「タイムマシンに乗るなら」というのがあって、本来そういうものに興味はなかったけど、江戸時代に行って時の鐘を聴いてみたいもんだなとは思うのである。
