菅野所長のエッセイ:自己との戦い


やっぱりこういう病気は一筋縄ではないのだな。この1週間くらい気道の閉塞に苦しんだわけだが、金曜に病院に行って希望が持てるようになった。主治医ではないのだが、こういうときにはシリコン製のチューブを喉穴に差し込んで、気道が塞がらないようにする方法があるというので、早速これを採用。その後チューブのおかげで気道が確保され、窒息死の恐怖は去っている。このチューブが安定した気道をつくってくれるらしい。

この医師とのやりとりで興味深い話が合った。このところ気道が塞がるようになった原因は消炎剤が切れたからではないかと僕の考えを伝えると、医師は「それもあり得ますが・・・」と言いつつ、「塞ごうとするんだよね」と意味ありげなことを言うのである。そして、このような事例はよくあることらしく、そこからこれは自然の摂理なのではないかと僕は察した。つまり、手術によって喉頭に穴を開け、気道を確保することは生きるためには不可欠だけども、人工的なものには違いなく、プリミティブな身体や脳はこれを「傷」と認識しているのではないか。そしてその傷を塞ごうとするのではないか。

ああ、そういうことか。それなら仕方ないな。この苦しさも当然のことではある。困ったとこではあるが、僕の身体や脳は基本的に正しい道を邁進している。そしてこの僕は、生きるために、自分の身体や脳と戦わなくてはいけないのだ。比喩では「自分自身との戦い」というのはよくあるが、これは比喩じゃないぜ。まさに自分と戦うということだね。

それにしても、問題は僕の体や脳が、傷つけられた自分を修繕するためにがんばっているわけだが、がんばるほど僕の命は危険にさらされるというパラドクスだ。そのがんばりが自分の首を絞めると言うことをわかってほしいものである。まったくご主人と同じで頑固で融通が利かない。結局チューブで気道を確保するのは、そんなプリミティブな身体と脳に、これ以上いくら頑張ってもダメだと、あきらめさせるということだろう。これも生きるためだ。あきらめてくれ。