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菅野所長のエッセイ:隠し事もほどほどに

 毎日わりと節制をしているので、体調は少し良くなってきている感じである。が、それでも気分が重いのはやはり季節のせいかもしれない。

今日の新聞には二つの隠し事にかんする記事が載っていた。ひとつは秘密保護法案審議入りと、検察取り調べの可視化についてである。どちらも、秘密にしたい側とオープンにしなさいという側の攻防だ。
 まず秘密保護法案だが、これはかなり危険な法律だと思う。こんなことより情報公開法のを設定する方が大事だと思うのだが、そんな話はもちろん政府からは全然出てこない。野党も保護法を認める代わりに公開法をつくれと言わないし。情報公開法ができれば日本の政治も少しはまともになる可能性はあるのだが、逆だ、どんどんダメな方に進んでいく。よほど秘密にしたいことが多いのだろう。秘密にしたいのはたいがいそこに悪事が存在するからだ。

 取り調べの可視化なんかはそのことがはっきりとわかる。よほどひどい取り調べをしているに違いない。可視化したくない理由なんてまったくわからん。そこに正当な論理などないだろうに。

 世界的にはアメリカ、ヨーロッパでは多く公開法が確立している。どうも最古のものはスウェーデンらしいが、スウェーデンは一方で、日本と同じように古い憲法が変わらない国でもある。だから保守的な国だなんて言われることもあるが、そういうことではないんだよなあ。

 日本はなんで公開法ができなくて、取り調べも可視化できないのか、ひょっとして、何でも隠すという文化が脈々とあるのかと、人類学的な思考を少しはたらかせてもみたが、きちんと研究するだけの気力などない。
 ただ言えることは、何かまずいことがあると隠したがるのは人々に共通の心理であること、そして力を握っている一部の層が自分たちの利益や権益を守ること、その二つが合わさってるんだろうなと、中学生レベルのような考察だが、そう思う。実際シンプルだよね。なんでそんなことしたがるのかと考え、何でそれを拒否するのかと考えればね。競馬よりはるかに簡単だ。

 僕にも隠し事はたくさんある、かな。ま、公開する義務はないが、飲んだ席では昔の恥ずかしい話をたくさんしてひじょうにうけている。これはつまり私的なことだからいいわけね。政治とか取り調べとか公的なことでしょ。だから公開するのが基本当たり前だという、ほんとに当たり前のことが行われてないと。日本には民主主義が根づいていないというのはこういうことなんだろな。

 競馬は日曜がエリザベス女王杯で、ここから7週連続のGⅠ。この第一弾が難しい
外れてもいいので、今回は珍しく穴狙いで行こうと思う。調教が素晴らしかった①オールザットジャズと、逃げ馬⑩エディンの逃げ残り。この2頭から3連複中心。

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