菅野所長のエッセイ:脳のトレランス


いやあ、オークスのデアリングタクトは強かった。2400mは適してはいないはずだし、馬群にもまれて展開も不利だったにもかかわらずの完勝。これで、無事な体調管理さえできれば、2000mとなる秋華賞での3冠は確実だろう。
ちなみに馬券は取れなかったね。後から考えると、2着も3着も、人気はなかったけどこれまで3勝以上してた馬だったな。終わってから気づいても遅いってえの。
でも、東京最終レースで穴馬券を取ったので少し持ちこたえたかな。
ダービーも、2400mが適距離とも思えないが、実力断然のコントレイルでしかたないか。相手はサリオスなど5~6頭への3連複だな。サリオスがこければ高配当の可能性もある。

で、ダービーが終わると春のクラシックもおわりだが、翌週の安田記念になんとアーモンドアイが登録してきた。完調ならばまず負けないだろうが、勝ち負けよりもどんなレースぶりをするのか楽しみである。
新型コロナもかなり収束したが、もちろん油断していると第二波、第三波がある。日本ではそこまで心配は要らないような気もするがね。とにかく病院や介護施設だ、危険なのは。

先日人と話していて、コロナから免疫全体の話になった。僕は昔読んだ免疫学者による自己論というのが面白かったのだが、その話から進展し、人が異物をどう受け入れるのかという問題に及んだ。
周知のように、コロナウィルスでは、症状が出る人と無症状の人がいて、検査すると、ウィルスに罹っていたものの治っている人も大勢いるという。つまりは、症状が出る人と出ない人がいる。この違いは何なのだと。
結局、それは、僕たちの身体あるいは脳が、この新型ウィルスを異物や敵と判断するかしないかにかかっている。何しろ、全世界的に未知のウィルスであって、体内にウィルスが潜入した当初は、ただ未知なもの、何だかよくわからないものと脳は思う。そして、異物そして外敵であると判断した脳はこれを撃退しようとして、その結果体内で戦争が勃発、それが各種の症状となって表に顕れる。
一方で、無症状の人の場合は、これを単によくわからないものとしてとどめ、排除すべき異物や敵とは見なしていない。抗体はできるものの、無症状であることから、穏便にこれと和解し、受け入れていったことがうかがえる。

世の中には寛容な人と非寛容な人がいるように、寛容な脳と非寛容な脳があるということだろうか。あるいは、鈍感な脳と敏感な脳と言い換えられるかもしれない。
ただし、すべてに対してそうとは限らないので、コロナウィルスにとってということだが。ノロウィルスあたりに感染すると寛容でいることなどほとんどできないのだが、ことコロナにかんしては、二分されている。他の感染症に比べれば致死率も低いし、まことに奇妙なウィルスだな。と「奇妙」と言ってしまったが、実はよくわからないことが多いものに対して奇妙と言ってしまうだけだ。細かいことがわからないが、大きな仕組みについてはシンプルに説明できる。

僕たちの脳や身体が異物と見なすものは何か?
これの身近なヒントは妊娠である。当初は何ともないが、数ヶ月するとつわりが起こる。つわりは明かな拒絶反応であり、体内にいる子どもを異物と脳が認知しているから起こる「症状」である。しかし、それがだんだん収まるのは当初は異物と判断した脳がこれを受け入れるからであろう。体内に入り込む多くの異物に対してこの仕組みは適用されるのではないか。そういう意味では、ただ放っておくというスウェーデン式の考え方にも一理あったわけだ。

まあしかし、どうなんだろう。ひょっとしたら僕も感染しているのかもしれないが、無症状ということは、脳がそういう働きをしているということになる。これを良いこととするのか、脳のチェック機能が甘いとするのか。異物に寛容な脳を持っているとするのか。でも、受け入れることで自然に良くなるのならそれがいいかな。この仕組みって、悩める人の心の問題とそっくりだよね。