菅野所長のエッセイ:面倒な理由


先週はコラムのアップをしなかった。というのも、週中に少し疲れが出た感じなので、「ちょっと調子悪い」と職場に連絡したら、皆が不安がったようで、まるで「絶対に来ないでくれ」という感じのメッセージが届く。深刻な状態ではまったくないのだが、スタッフを不安になせてはいけないと思い、後半はお休みとした。

案の定、今週は体調に問題なし。でも、僕だけじゃなく、身体にちょっとした異変があると、これは感染したのではないだろうか?と思ってしまうね。こういう状態が長く続くとそれが心身に影響を及ぼすことになるだろう。加えて、経済的な心配を抱える人ならもっとたいへんだよね。日本の政治家はそのへんがまったくわかっていないようだ。
「8割減」を目指すんなら、個人、フリーランス、中小企業の人たちに休業補償をしないと。

ドイツでは、そういった人が休業補償を受けようとする際には、必要書類は2点だけだという。そして、2日後には振り込まれると、TVでその映像が流れた。これに対して、日本では10点の書類が必要で、給付されるのが1ヶ月から2ヶ月先だもの。この違いが、彼我の政治のクオリティの差だ。世界同時多発の出来事だからこそ、日本の国民もようやく鮮明な比較ができる。
とくにメルケル首相の国民へ向けた演説には胸を打たれた。最近国民から見放されていたメルケルだが、ここ一番で政治家としての気概、底力を見せたな。東ドイツ出身だからこその「公と私」への深い思いが迫ってくる。比べれば、尊皇攘夷の土地柄と思想を根に持つ二世議員だものな。
前から主張しているのだが、日本は法をちょっといじって、有能な外国人を雇い、政治に当たらせるべきだろう。

日本の手続きの煩雑さについて、ある番組のコメンターは、日本では性悪説が土台になっているからだと述べた。つまり、細かくやらないとズルをするんじゃないかという国民への不信が行政の側にあると。
うーん、そうなのか?
僕は自分がこういう仕事をしていたりして心理学が専門ということになってるけど、何でも心理的に分析するというのが嫌いである。僕の問題意識としては、まあそういうこともあるとしても、ではなぜ、行政は性悪説に立ってしまうのか? 立ってしまっているかのように見えるかということである。
手続きが煩雑になってしまう第一の理由は単純だろう。それは公務員の数が多いからだ。少なくとも「無駄に多い」ということだ。もしも、公務員の数が少なければ、こうした仕事は簡素化されるに決まっている。でも、人がたくさんいると、ああでもない、こうでもない、こういうこともある、ああいうこともあるとやたら規則や規範が増えていくのである。
昔、学校でトンデモな校則が話題になっていた頃、僕の恩師が学校の校則について調査研究をしたところ、学校の規模に応じて校則が多くなるという結果を得た。これは単に生徒数が多いからというよりも、教員の数が多いからではないかと考察されている。
人が多ければよりよいサービスとなるというのではなく、適正な数であるかどうかが鍵なんだね。
それから性悪説というよりも、国民や一般市民の立場に立ってものを考えないということだね。自分が申請する側だったらと考えるならば、これまた簡素化するに決まっているのだ。