菅野所長のエッセイ:情熱の種類


明日から出かけちゃうので、今日書いてしまいます。

このところ行き帰りの電車で呼んでいるのはローラ・カミング著「消えたベラスケス」だ。読み応えがありすぎるほどあるので、今回は2回目となる。ドキュメンタリーともミステリーとも言えるものでとても面白い。

主人公は19世紀のイギリスの書店主ジョン・スネアという人物なのだが、スネアはあるオークションで、17世紀にベラスケスが描いたと思われる肖像画をたった8ポンドで競り落とした。当時イギリスではベラスケスをよく知る人間はほとんどいなかった。しかし、署名がないなど、その絵が本当にベラスケスのものかは定かではない。スネアは自信の人生を賭ける思いで、当時のことを調べ、有識者に尋ね、確信を深めていくが、絵を本物と認めない者からの攻撃にさらされる。イギリスやアメリカでも一般の人たちのために展示し、それなりに人気を博するが、それでもつねに専門家筋からの攻撃に遭い、裁判にも発展し、その所有権までも危うくなっていく。

貴賤の色濃い社会で、画壇においては無名でちっぽけな存在でしかないスネアの、たった一人の戦いと苦悩とそれをやさしく見守る著者のローラ・カミング。
カミングもまた、スネアと同じような情熱で、かぼそい情報を拾い集めてスネアの足跡を追い、謎の多いベラスケスについてと、現存しているのかもわからないその絵がベラスケスのものであるかどうかを分析していく。
ああ、こうやって粗筋を書くだけでちょっと興奮してくるなあ。今回は2回目なので所見よりもわかりやすく頭に入ってくる。旅の終わりには読み終わっていることだろう。

しかし、僕にはどうも理解できないのは、スネアの情熱である。自分だったらそこまで情熱を傾けるのだろうかと疑問だ。これは価値のあるものだ、わかって欲しいという気持ちは理解できる。でも、それって、他人の描いたものじゃない?と思ってしまうのだ。自分のものならわかるけどね。

たぶん収集家というのはそういうものなんだろう、と思うしかない。僕には収集の趣味とかないのだが、その理由がわかった気もする。僕にとって大事なことは、自分が何かを創り出すことなのだ。仕事もつくるものなんだよね。振られることでもなく、見つけることでもない。
絵画の世界というのはけっこう謎だらけなのかも。この頃思ったのは、円山応挙は人気があるが、その師である石田幽丁は何でまったく人気がないんだろうということ。先日、静岡でその謎を突き止めてみようと思ったのだが、荒天のはずの天気が良くなってしまい、ゴルフをやることになってそれができなかった。残念。

ああ、そうだ。もう一度海外に行くとしたらやっぱりスペインだな。マドリッドだな。それで毎日プラドに通うの。スペインはすごいな。絵画ではベラスケス、映画ではビクトル・エリセ。

そういえば、ブエルタ・ア・エスパーニャがそろそろ始まるのではないか。あのすべてをオレンジ色に見せるようなアンダルシアの陽光は今年も健在だろうか。