菅野所長のエッセイ:症状と原因


先週はうっかりアップするのを忘れていました。
別に何かあったわけではありません。翌日から北海道に行くのでそっちに気を取られていたかなあ。
この間、どこかのワイドショーで、例の麻生方言についてのコメントで「私は麻生さんのことをマスコットだと思ってますから、そんなに大騒ぎしなくていいんじゃないかと思います」と言ってのけた芸能人がいた。スタジオ爆笑、苦笑、大うけ。いやあその通りだ。マスコットの言うことにいちいちカリカリしてもしかたない。これを受け、他の専門家は「マスコットならマスコットらしく・・・」と真面目に付け加えるのが滑稽である。久々に破壊力ある言葉だったな。
昔、南米沖にエルニーニョが発生すると世界的に異常気象になると言われ、あたかもエルニーニョが異常気象の原因であるかのような言説が流布した。今もけっこうそうだが。しかし、異常気象の原因はエルニーニョにあるのではなく、エルニーニョもまた異常気象のあらわれのひとつに過ぎないのである。
野党は麻生が悪いとか安倍がどうのと追求するのだが、彼らが悪政、失政の原因ではなく、彼らはその症状なのである。麻生がマスコットであるという言葉にはなかなか深みがある。トランプが病んだアメリカの症状であると言えばその方がわかりやすいかもしれないが。
この症状は世界的な拡がりを見せているのだが、それを産み出したものの正体はと言えば、それは中国の台頭ということになるのだろうか。ずいぶん昔、柄谷行人が「中国だけはわからない。あの国は僕にとって暗黒なんです」と述べていたが、三〇年前に僕もまだ貧しかった中国に行き、そこに正体のわからない、空恐ろしいエネルギーを感じたものだった。あのころの世界はまだ、雨は降らずとも、分厚い黒雲が空を覆い始めていた時代だったのだろう。
前にも触れたが、この数ヶ月、ケーブルTVで中国の歴史ドラマにはまっていたのである。だいたいが三国志の時代から、新しいと明代まで。ほぼ王朝ものである。そこに繰り広げられる陰謀、奸計のとてつもなさに圧倒され、若干気持ち悪くもなるほどだ。たとえば、相手を陥れるためなら、わざと堤防を決壊させて大災害を起こし、民を犠牲にして国に混乱を招くとか。
比べれば、小早川秀秋の裏切りが今でも語りぐさになるような日本など、善人ばかりの国である。これに加えて、韓国の歴史ドラマも相当観たが、中国に比べればこちらのほうが善人の登場率が高いように思う。ただし、中国と同じく、主人公である善人もまた、同じような策略をめぐらせて相手をはめるのである。すなわち、これらのドラマは勧善懲悪的ではあるのだが、双方の策謀、策略によって編まれた作品なのである。結局、国民がそういうものが大好きということは疑いようもない。
また、儒教は為政者のために生まれたような宗教とも言えない宗教だが、中韓のドラマを観ると、その根幹は日本でこそ最も生き延びているのではないかだろうかと、およそ宗教歴史学者とは違う見解を持ってしまう。とにかく、こうしたドラマを観ることで、かの国への理解も少しは進むというものだな。
さて、前半期最後のGⅠ宝塚記念。押さえでしか馬券を取れなかった傷心の僕は、次の日渋谷で「印象派への旅」展・バレル・コレクションを見てきた。雨降りの平日なのに意外と人が来ている。今回のコレクションは、80点中76点が日本未公開。これはすごい。
しかし、いつも思うけど、みなすべての絵を均等に観るもんだねえ。僕なんか目当ての絵は10点もないからさっさと巡回。だから、目当ての絵の前も案外と空いているのが幸運である。ブーダン全部とマネが一点。マネが描いたバラの絵は期待していたのだが、写真と実物はちょっと違った。マネはマネだな、やっぱり。
これに比べてブーダンの素晴らしいことよ。なんで作品がこんなにあるのかと思ったが、少し考えればわかることだった。持ち主のバレルはイギリスの海運王。ほとんどが海と川と船(そして空)を描くブーダンはどの画家よりもバレルにとって価値があったののだろう。とにかく、このコレクション展で、遅ればせながら、ブーダンの真価を知った思いがする。今まではポーラ美術館のものくらいしか観たことがなかったが、こちらのほうがはるかにいい。さすが、モネの師匠。モネはブーダンに見出されなければただの戯画作家に終わったかもしれなかったのだ。僕にとっての永田先生のようなものだな。