菅野所長のエッセイ:蓮の花


今週もなかなか眠れない夜が続いている。
これまでメンタルのほうは強い人間だと思っていたのだが、今回ばかりはそうでもないことがわかった。逆境とか、そういうのには強いんだけどね。これまで肉親も含めて、いろいろ大事な人が死んできて、まるで平気だったことはひとつもないけれど、仕事に支障が出ることはほぼなかったし。

しかし、こういう精神状態を経験していることは案外に大きいものだなと思う。頭ではそれはそれ、仕事は仕事、とか切り離さなきゃいけないと分かっていても、気持ちと身体がそれに追いついていかない。あるいは気持ちを紛らわすことに努めても、一日の内には紛らわしきれない時間が必ずある。僕の場合は、前から言っているようにそれが寝る前なのだ。今週も眠れない中、真夜中にまた起き出して、考えたことをメモしたり、TVを観たりというのが2回あった。

でも、そういうものだと思うしかない。先週くらいまではそういう自分が情けないと感じていたが、そうした自責の念は少しだけど和らいだ感じだ。そういう意味では、少しは建設的な考えも出てきたのだが、これはたぶん誰かに言われても自分の中には着床しないのではないかと思う。

一方で、こういう状態のときには、独り身ということが大きなハンデとなるのだなと思った。それはこれまで感じたことがなかった。一人で考え、一人で決めていく、ずっとそのスタイルをとり続けてきたからね。でも、年明けからこっち、そのスタイルが自分を泥沼に追い込んでいるところがありそうだ。一人で思考しているとどうしてもなかなか前には進まないなと感じる。内側に内側に入り込んでいくだけであって。

しかし、そんな泥沼にも蓮の花が咲くこともある。

昨日の夜、例によって眠れないのだが、ふと自分の恩師のことが浮かんだ。僕の大学時代の恩師は、まさに自分にとって人生の恩人なのだが、この20年くらいは、毎年の年賀状以外は、本を贈ったときに感想の手紙をいただくくらいで、直に会ったこともない。つまりそういう遠い関係ではあるのだが、先生は変わらず自分の恩師であり続けている。だから、先生がもし亡くなったとしてもそれは変わらないのである。

そう考えると、高良さんはもういないけれども、でも自分の大切な友人であることには変わりないと。重要なのは「友人であった」ではなくて、いまも「友人である」ということだ。亡くなったことで、すべてが消え去ったかのような、過去のことになったかのような気がしていたのだが、それは錯覚というものではなかったか。彼は生きているときはもちろん、死んでからも僕の友人なのだ。

夜中の3時か4時ごろだったか、布団の中でこういう考えにいたって、ふわっと気持ちが温かくなったようなそんな感じがした。そこからすぐには眠れなかったけれど、(さっそく携帯にメモしたので)、まあその後はなんとか眠りに落ちたのだった。