菅野所長のエッセイ:梅の季節


今日の朝、仕事に行く準備をしているときにふと身体の中が空っぽな感じがした。あまり経験したことのない感覚だった。あれから少しは時間が経ち、いろんなことが終わってきたことから来るものなのか、どうにもよくわからない。

火曜日と水曜日、通夜と告別式があって、それは確かに終わった。弔辞というものは、やはりまともに読むというのは不可能だなと思った。そもそも「弔辞」と宣誓した直後に、もう声が出てこない。時間にしたらどれくらいだったのか? 10秒か15秒くらいと思えるが、どうした? ちゃんと読まなきゃダメだろと焦るが、声が出なかった。
でもこのとき、これはまともに読むのは無理なんだという考えがすっと頭をよぎり、まともに読めなくてもしかたないという気持ちになり、少し楽になった。そこからは、詰まり詰まり、途切れ途切れではあるが、何とか最後まで読むことができた。

その後出棺があり、火葬にはご親族にお供させていただき、戻って食事と少しの酒をいただき、帰ったのは4時くらいだったか。これで一区切りというのかなと思ったが、その夜もやはり眠れなかった。この不眠についても、弔辞と同じで眠れなくてもしかたないんだと思うようになった。昨日も2時間くらいしか寝てないが。

身体の真ん中が空っぽになった感覚というのは、たぶんそこに高良さんがいたのかなあととか考える。そのうち慣れてくるのかもしれない。

ひとつ残念だったのは、最後に彼と会った後に、それでも何かできることはないかと思った僕は、もうすぐ開花する予定の梅の小鉢を注文したのだが、届いたのは彼の死後だったことだ。その梅が咲くまでがんばって欲しいと思い、もしもそれを彼が見ることができたら、次は桜の鉢を届けようと思っていたのだけど。見れば、梅が満開の季節となっている。

 

あと、今回のことを通して、自分のあずかり知らぬところでも人に支えられているのだなあということを痛感した。自分の悲しみとか苦しみばかりに心を奪われていて、そういうことに気づけなかった。それも情けない。自分の小ささばかりが実感される。
この1ヶ月はみなに迷惑をかけてばかりだった。職場のスタッフ、クライエントの方々に深くお詫び申し上げたい。今後はちゃんと仕事ができるようにがんばります。さっそく明日は休日だけど仕事がある。