菅野所長のエッセイ:のどかな出来事


2014.03.20

 今週はちょっと疲れの回復にとまどったなあ。日曜に広島に出かけ、月曜に仕事をして戻ってきたのだが、普通でも広島っていうのは交通的にちょっと厄介なのである。それが今回は世羅町という普通の人は知らない場所で、広島県の真ん中、山の中である。

 でも、僕はよく知っていた。なぜならここには高校駅伝の名門世羅高校があるからだ。昔から京都でやる高校駅伝には頻繁に出てくる。どこにあるのかは知らなかったが、人口にしたら1万数千という山間の小さな町なのだからなかなか凄いことだなと思う。

 月曜の朝、福山駅内の観光課に聞くと、電車もバスも不便で使えない、車で行くしかないですねえと言う。タクシーで行くと時間はどれくらいかかるのか?と聞くと「1時間半?くらいですかねえ」。 ええ!? 事前の調べよりもかかるなあ、それじゃ料金も大変かもしれないと、タクシー乗り場でせこく小型車が先頭になるまで待つ。運転手さんに聞くと「1時間くらいじゃないですか」 という。
 実際は、高速の山陽道尾道あたりから島根の松江までを結ぶ予定の無料の自動車道が現在世羅まで開通しているので、1時間はかからないで済んだ。料金にしたら12000円くらい。運転手さんいわく、こんなに遠くまで運ぶのは年に2、3回ですねえと。なるほどけっこうな上客であったのだな。

 結局、早く着きすぎたので、会場の横にある小さなレストランでコーヒーを飲んで待つことにした。そこへ主催の人が現れたので不思議に思ったら、タクシーが入ってきたのでこれはと思い、運転手に聞いたら先生が到着したんだとわかったという。なるほどね。
「それで、ひとつお願いがあるんですが」
「なんでしょう」
「あの先ほどのタクシーの運転手さんなんですけど、帰りに空港に行くんでしたらまた利用していただけないかと」
「まあ、それはいいですけど、帰る時間は今からだいたい4時間後になりますよね」
「ええ、ですから、運転手さんも先生の講演を聴きたいと言うんです。いいでしょうか?」
「はははは、それはかまいませんけど、奇特な人もいるもんですね」
と、こんなことは前代未聞。都会ではありえないエピソードだなあ。

 こんなにのどかなことで始まると、だいたいのことはうまく回る。主催の方々の尽力という他はないが、平日の昼間だというのに会場は満杯。さすがにお年寄りが多い。でも、こうなるとそのお年寄りに焦点を当てることができてかえって話しやすいものだ。 けっこうウケてた感じだし。いや、ひょっとして自分が年取ったからか? なんだか綾小路公麻呂みたいになってきているのか。
講演終了後に、15分ほど地元ケーブルテレビの取材を受けて帰路に。帰りは運転手さんと講演の話などしながら4~50分で広島空港に到着。出発までビールを飲みすぎないようにして、搭乗したのだった。

 で、ひじょうに仕事としては上出来という結果で夜の10時くらいに家に帰ったのだが、でも、まだ月曜日なんだよね。本来は僕の休日。前日は日曜だったが、広島に行かなければいけないと緊張しているから、朝からくつろげなかった。泊まった福山では、日曜なものだから気の利いた飲み屋さんはあまり開いてなかったし。
 結局休みというものがまったくなかったわけで、今週は金曜が祝日でほんとに助かったなあ。火曜日なんかかなり疲れてたもの。

 さて、僕の場合、出張に行くとまず第一におみやげを購入するのだが、お目当てのはっさく大福はなかなかみつからない。ある店で見つけたけど、5個くらいしかなかった。自分が食べる分として2個だけ買ったが、食べてみると以前よりも美味しい。たぶん中のはっさくの量が増えているぞ。
 TCCの新しいスタッフの人はこの大福の感動を知らないので、ぜひ教えてあげようと木曜に広島のアンテナショップに寄ったのだが、全部売り切れていた。以前なら、午前中に行けばまだあったのになあ。知る人ぞ知る相変わらずの人気商品のようだ。

 というわけで、出張も終わり、いよいよ忙しい3月も来週まで。来週末はゴルフに行っちゃうので、このコラムはお休みさせてもらう予定である。思い起こすと、ゴルフは11月の下旬か12月の初旬にやってからまったくである。クラブさえ握っていない。ああ、2月に一度やるはずだったが、降雪で取りやめになったし。やっぱり、先々に楽しみなことがないとね。

菅野所長のエッセイ:被災地の時間


2014.03.15

 世界最大の蟹であるタカアシガニは、ふだんは深海にいるけれども、3月頃になると浅瀬にきて産卵する。それがヒラメ漁などの網にかかっていたりすると、漁師さんたちは春がそこまで来ていることを知るのだそうだ。

 そういった春の知らせは風情があっていい。しかし、ここ2年は、3月11日が近づくことが(東京の話だが)早春の知らせとなっている感がある。今年もまた数日前から災害関連の番組が多くなり、あれから3年経ったのだなと感じる。

 その中で、もうじき終了となる「笑っていいとも」のゲスト渡辺謙が、「被災地に行ったことのある人」というアンケートをとり、「50人、それ以上かな?}と予測したが、その結果は17人だった。サンプルが偏っているとも考えられるので、この数字が多いのか少ないのか、それは測りかねるけれども、「そんなものだろうな」と僕は思いつつ、にこやかにしていた渡辺謙が絶句し、しかしすぐに気を取り直して「(観光でもいいから)一度行ってみてください」と弱々しくお願いする姿を見て、いささか複雑な心境にはなった。

 現在、震災遺構を残すかどうか、防潮堤をどうするかという問題がある。中央行政の考え方は、遺構を残し、それなりの防潮堤をつくるということだ。遺構にかんしては、南三陸町の何度も映像に出てくる防災センター。3年前の春、僕もこの前を2回通った。
 あそこで家族を失った遺族たちは取り壊しを願うがそれは少数。町長は県や国の意向ととの間で揺れているようだった。問題は他にもあり、耐震強度が基準に達していないので、補強工事の必要もある。

 防潮堤のほうは、住宅部を護るということでたいていがかなりの高さの予定となっている。取りかかっているところもたくさんあるが。しかし、とくに漁師さんたちはそのことで漁に不便が生じることを懸念し、また海が見えなくなったり、景観を損ねることを危惧した反対の声もいまだ多いようである。

 こうした問題の基本は、何より地元の人の声を優先することではないのか。と思うが、県や国の考え方は、たぶん建設ラッシュによる経済効果も期待してか、小さな声はこの際排除せざるを得ないという方向に見える。けれども、国の補助のもと、建設によるさしあたっての活性化はあるのかもしれないが、巨大なものをつくればつくるほど完成後の管理維持費も膨大となり、それは地元行政の負担となる、結局、そのツケは税金として住民に回ってくるという仕組みだ。

 ある小さな漁港の住民たちは、当初から高い防潮堤の建設を拒否し、自分たちの生業(漁業)を最優先する道を選んだ。彼らは、何より逃げることが重要だと言う。振り返れば、どんな津波が来ても安心だという防潮堤を自慢していた町でさえ、あの津波の前では無力だった。何メートルあれば大丈夫という一見理のある話よりも、「まず逃げること」という言葉のほうが、はるかに大事なことを学んだ言葉ではないかと思った次第である。

 普通の場合でも住民の意見はいろいろであるものだが、今回は災害の被害の程度によっても違ってくるだろう。統一的な見解などなかなかできてこないものだ。でも、南三陸の遺構の問題にあるように、被災者の時間とそうでない者の時間とは進み方が全然違うのだ。

 一般の人はいつまでもそれに思いをはせていてはいけない、前を向かなければいけないという気持ちにもなるし、ひいてはそれが、震災遺構を残すことが後々にとって良いものをもたらすという結論となっていく。その結論、考え方は正しい、その通りである。言葉より何より、たとえば原爆ドームが人々の心にもたらすものは大きいだろう。取り壊しを求める遺族の方々だってそんなことはわかっている。しかし、今はまだ、そしていつまでかはわからず、そんな気持ちには到底なれないのだ。

 こうした声を拾わないで行われる復興とはいったい何なのだろう?
もちろん、行政は何度も話し合いをしてきたと言うだろう。しかし、重ねて言うが、多くの被災者の時の進み方というものは遅々としている。3年経った今でも、行方不明となった親や子どもを捜し続けている人たちもいる。加えて、今も避難生活を余儀なくされている人々は26万人。この人たちにとって、災害は終わってなどいないどころか現在進行なのである。

 被災者の方々が復興庁を訪れたとき、壁に飾られた東京オリンピックのポスターを見て愕然としたと言う。それを聞いて僕も愕然とした。その配慮のなさの裏には、ひょっとして、復興の名の下にオリンピックの経費までも有り余った復興予算でまかなわれるのではないか、そういうつもりなのではないかという疑いもむくむくと生じてきたのだった。

菅野所長のエッセイ:春よ来い、半島にも


2014.03.07

 まだ真冬並みの寒さとは言うものの、それでも3月。以前の寒さとは質が違う感じがする。家にいるときでもさほどの厚着はしないでも過ごせるし。
 もう今年度は、新たな仕事もなさそうで、遠方への出張が一回あるくらい。月末には毎年恒例、たぶん四捨五入すれば30年くらい続いているゴルフ旅行が控えているくらいだ。

 そういうわけで、啓蟄も近いし、気分的には悪くはないのだが、とくに面白いことは何もなく、ひたすら仕事をやって土曜の夜になるとホッとするということの繰り返しである。
 
 去年、キャンディス・グラバーというディーバを楽しめたFOX「アメリカン・アイドル」は、今年も全体のレベルはまあまあ高いのだが、去年ほどのインパクトはないね。でも、13回目にもなってこのレベルというのはあいかわらずすごいことだが。

 回数にちなんで、トップ13が決まり、これからサバイバルになる。この中では、女ではマジェスティ・ローズ、男ではアレックス・パターソンが実力、個性、タレント性とも抜けていると思うが、堂々たるロックボーカルのケイレブ・ジョンソンとジーナ・アイリーンもなかなかいい。
 しかし、毎回のパフォーマンス次第なので、引き出しの少ない者は脱落するしかない。その点、マジェスティは何とも言えないところである。人気はありそうだが。そう考えると、アレックスが本命でジーナが対抗かも。アレックスは、フィッリップ・フィリップスに匹敵するセンスとそれよりも上な歌があるものな。

 このシーズン13は、審査員の影響かもしれないが、アメアイ史上で最もルックスを重視しない感じである。この辺は、もうひとつの競合番組「Xファクター」との差別化を図っているのか? 「Xファクター」もそれなりに面白いのだがね。

 そういえば、待望久しいキャンディスのCDが発売というので、即行で注文したがまだ届いていない。結構人気があるんだろうか? それとも注文先がさぼっているのか? まあ先の楽しみとして取っておくのもいいのでそのままにしているが、ゴルフまでには何とかならんかなあ。音楽は車で聴くのが一番いいんだよね。

 ま、毎日仕事をしているうちにどんどん春めいていくのだろうが、ウクライナ情勢には気を払っておかなければいけない感じだ。自分が何ができるとかそういうものではないのだが、平和裡に国が分割されるのが多分一番いいんだろうね、あれは。もともとひとつの国であることに無理があったのだろう。アメリカも、遠吠えを上げるだけで直接的には何もできないのは明白だ。
 ロシアも軍事力でクリミアを実効支配してはいるが、いちおう住民投票の結果待ちをしているわけで、その辺は中国などとは違うし。ただし、プーチンがノーベル平和賞の候補に挙がったというのは失笑するしかないけど。
 

 

菅野所長のエッセイ:アンネの涙


2014.03.01

 アンネ・フランク関係の本が激しくアタックされている。被害マップを見るとどう考えても、私の住む西武池袋線沿線が怪しい。被害の規模から見て複数犯か、ネオナチかぶれの若いやつなんだろう。要するにただのバカなんだが。でも、こういう動きの背景はわかりやすい。

 このところの首相の答弁を見ても、主体的に戦争ができる国にしようという意図があからさまなわけで、確かにどこかの国に操作されるよりは、それが自由独立したものなのだろうが、はたして国民はそういう国になりたいと思っているのかどうかは疑問だ。

 現憲法下でもかりにどこかから攻撃された場合には反撃することはできるのであるから、首相が目指しているのは、攻撃はされなくてもこちらから戦争を仕掛けることができるようにするということである。確かにそれも自主独立した国のあり方のひとつかもしれないが、重ねて言うように国民がそれを欲しているのかどうかである。自分の好みで勝手に舵を切られてはたまらない。首相周辺からの相次ぐ失言もありつつ、こういうウルトラな人たちの共通な傾向とは、立憲思想を軽んじ、手続きを軽んじ、自分と違う考えは排除することだ。そしてあたかも、軍部が政治を掌握しているような状態ににじり寄っていくものなのだろう。僕がスーツを着た軍人と揶揄するのはこういうことだ。安倍・石破の軍事ラインは最強最悪だな。

 近年の若者の間にもそれと同じメンタリティが広がりつつある。たぶん彼らは残念ながら情報のリテラシー、コミュニケーション能力など、時代を生きるに必要な能力をうまく獲得できず、それゆえに現実生活にフィットすることもあまりかなわず、自身の生活、人生にとてつもない不満を抱いているのであろう。そのようなフラストレーションを安直に発散する手段として、偏執的な挙に出る。テロですね。オウムと同じで、パターンと言えばパターンだが、都知事選で田母神氏に投票するようなこととは違って、まさに妄挙と言う他はない。
 ちなみに、ドイツを中心としたヨーロッパユースのネオナチへの傾倒もまた、移民に仕事を奪われたと解釈する貧困層によるものだ。

 ま、そうでなくても、いつの時代も若者は欲求不満で愚かでバカである。僕などもその典型だった。自分は正しいということにかたくなにしがみつこうとしていた。ひどいものだったな。思い通りにならない人生、でもそれをどうしていいのかわからない。
 ひとつ違うのは、僕はあるとき自分がバカで愚かだということを悟ったことかもしれない。ということは、内省力はそこそこあったと。そしてそのために必要な良性の自尊心がわずかばかりでも残っていたことかもしれない。
 コレステロールや腫瘍と同じで、プライド、自尊心にも良性と悪性がある。悪性は厄介で、今回の事件の犯人もかなり悪性のプライドに冒されているということだ。

 自分なんて自分が思うほどたいした人間でないんだということを受け入れるのはつらいが、しかし、同時に楽になることでもあったような。そもそも人生なんて思い通りにならないものなんだよね。それを当たり前の理と悟るならば、思い通りにならないことに対して、すごくがっかりしたり、絶望したり、怒ったりするのは過剰反応でしかない。肝心なことは自分への誇大な幻想から解放され、自由になることだが、どうしてもそれができない人が増えてしまった。

 自分がそんなだったから、まあ、なんか派手なことをして世間の耳目を引きたいとか、あっと言わせたいいう思いも理解できるがね。けど、本を破くなんてスケール小さすぎるし、しかも卑怯な感じ。そんなことをしている自分を恥ずかしいとは思っていないのだろう。まさに、そこが分かれ目だ。つまり良性のプライドを持ち合わせているかどうか、自分と向かい合うことができるかどうかである。

 自己嫌悪におちいることは必要な精神力である。それは内省する力があることの証左だ。内省ができない人間とは、自分を外から見ることができない人である。すなわち他者の捨象。そうやって自分という繭に閉じこもり、その中で自己を正当化する作業に没頭する。他者を捨象してしまえば、自分を評価するのは自分自身以外にはなく、その結果自分に都合の悪い要素は切り捨てられ、自分のことはあらかじめの免責事項となる。これがナルシシズムというものの位相だ。
 他者を捨象してしまえば、あらかじめ自分は正しいのであるから、うまくいかないのは当然自分以外のせいである。それは他の人間、家族や学校、そして社会であると帰結する。それにアタックするのは正当であると。
 もとを質せばただの私憤。それをあたかも公憤であるかのように、思想上のことであるかのようにすり替えているのが、こうしたテロとかヘイトスピーチの内情ではないかな。そうじゃない場合もあるにはあるんだろうがね。

 しかし、これが捕まったときには、どういう刑罰が待ち受けるのだろうか? ぜひ裁判員裁判で決してもらいたいところである。

 それにしても、このような空気をつくりだした陰の犯人が先の民主党政権であったことも間違いない。彼らの言葉もあり方もこの国の若者にはまるで届かなかったし、あきらめ、失望しか与えなかった。もはやリベラルなどとっくに死語であって、時代は灰色の雲だけが広がっていくだけのようである。ま、リベラルだろうが保守だろうがそんなものはどうでもいいので、とにかくナルシシズムの罠に陥らないことだ。

菅野所長のエッセイ:クィーンよりもプリンセス


2014.02.22

 オリンピックでメダルを取るというのは、どんなものでも並大抵のものではないと思うが、それでもジャンプ葛西の銀メダルを思うと、他のものは霞んで見えてしまう。41歳、7回目の挑戦。しかも飛距離だけなら1番だった。

 普通こういうことは考えられない。ジャンプ界の「レジェンド」と言われるのもよくわかる。が、スタミナは問われない瞬発力勝負の競技であれば決して不可能ではないのだなとも思う。たとえば、スピードスケートやノルディックではちょっとありえない。

 その点、女子スノボパラレル、銀メダルの竹内智香がなかなかだ。30歳、3度目の挑戦。何と、自らスイス代表チームの練習に参加して5年間腕を磨いた。これも通常あり得ないことなので、スイスチームは何回も断ったらしいが、その熱心さにほだされ、最後には懐の深さを見せたということだろう。

 そういう情熱というのは人の心を動かすということだな。以前、ひどい就職氷河期の頃に、相談に来る学生に対して、無休でいいから使ってくれと言えば必ずどこかの会社は受け入れてくれると思うよと言った覚えがある。それでダメだと判断したら雇ってくれなくてもかまわないと。でも、そういうことをする学生はいない。でも、「どうしても」と思う気持ちがあればそうすればいいと思うのだが。
 昔、あれは28、9歳の頃だったかなあ、子ども相手の経験がなかった僕は、ある児童系の診療所に無給でいいから働かせてくれないかと申し込んだことがある。向こうは無給であることに恐縮していたが、こちらとしては金を払ってでも経験を積みたいと思っていたわけである。結局それも要らないというのに、交通費を支給してくれることになった。結局、入ってまもなく、何だかよくわからない大きな人事入れ替えがあって、僕も辞めることになったのだが。

 そして、女子フィギィア。予想通り、浅田真央はダメだった。このコラムでも昔から言っているように、やはり精神的に未発達な限り勝てない。勢いだけで勝てる子どものときと違うわけよね。フィギィアというのは、選手が子どもから大人になるプロセスをあからさまに見せる競技である。そこに大きくかかわるのはコーチ。彼らの最も重要な仕事は飛び抜けた才能のある子どもを大人にすることだ。

 19歳、しかし、見るからに幼さが抜けない感のある羽生が金を取った。彼のコーチはかつてキム・ヨナのコーチでもあったわけだが、この人は核心を十二分にわかっている人なのだろう。スケート以外に彼が選手に熱心に課すことは、慈善活動だと言う。ただ大人になれと言うだけで選手が大人になっていくわけではない。狂信的なステージママと一体化し、狭い世界にしか生きていない子どもたちに少しでも世の中というものを知ってもらうための教育という意味合いなのであろう。このコーチの差が、キム・ヨナと浅田との違いと言ってもいいかもしれない。

 そのあたりの教育ができていたら、浅田の才能からして決してキムに遅れは取らなかったと思う。けれども、もう18か19になった頃にも「真央はね」なんて言ってた時点で僕は永遠に一番にはなれないと確信していた。才能はかなりのものだけに残念なことである。あの才能に金を与えられなかったのは指導者の問題と言えるかな。ただし、今回、SPで失敗していなくても、銅止まりだったけどね。

 ひるがえって、スノボの竹内を迎え入れたスイスのコーチ陣は、最終的に彼女にこう伝える。「君は日本に戻って自分の応援者をつくり、その人たちから期待されるプレッシャーを背負うべきである」と。選手を大人にするということ、ほんとうに強い選手とはどういうものなのかを知り尽くしている指導者とはこういう人たちを指すのだろう。

 それにしても、キム・ヨナの演技は他とは次元が違うと僕は思ったが、結局、完成されすぎていて、芸術的な方向に傾きすぎたのかもしれない。それは大人に向けられた演技だった。この競技では、完璧な演技だからこそ、何となく物足りなさを感じてしまうということもあるわけで、氷上という、つねに危ういバランスの上に成り立っているものであることを不断に確認させる要素が必要なのかもしれない。
 昔、シンボリルドルフという馬がいて、皇帝と呼ばれ、5冠くらいとったのだが、いつも完璧なレースをしてしまうので「面白くない」と言われていたものだった。今回のキム・ヨナもそういう感じではないのか。完全無欠な王女のような。でもフィギィアの観客はたぶんプリンセスを求めているんだよね。

 とにもかくにも、大人と子どもという問題が強く印象に残った大会だった。

 さて、日曜日は冬のGⅠフェブラリーステークス。豪華メンバーが揃った。⑪ペルシャザールと⑮ホッコータルマエからの3連単。相手は①ゴールスキー、②ベストウォーリア、④ワンダーアキュート、⑦ニホンピロアワーズといったところか。競馬のほうが、採点が訳のわからないフィギィアよりも明確だ。

菅野所長のエッセイ:次の波を待て


2014.02.15

今週は散々でした。

 何がと言うと、結局風邪を引いてしまい、一日休んでしまったのである。偶然にも休みが重なったのにもかかわらずである。やっぱり急に寒くなったせいなのか。体中が痛くて、頭痛もおさまらない。頭痛薬をいくら飲んでもダメで、いったいどうしたことかと思ったのだが、頭痛薬がなくなってしまってしかたなく風邪薬を飲んだら、かなりおさまった。とすると、これはただの痛みではなくて、風邪から来ていたものだったのかと送れば背の推測が成り立ったわけである。もっと早く気づけばよかったのだが、何しろ休みだったもので。

 木曜は、前日からずっと仕事ができるかどうか怖くてしかたなかった。そういう不安は久しぶりだったが、何とかやれたのでホッとしているが、まだ次の日はどうなのかとなおも不安は継続する。でも、何とかしないとな。

 そういうわけで、高梨沙羅ちゃんも、ハープパイプの平野君も生では観られなかった。同じ日の同時刻にやってたんだよねえ、楽しみだったのに。でも、沙羅ちゃんが負けるところは観たくなかったので、それはよかったかな。それにしても、やっぱりオリンピックは別物ということだ。

 一方、銀と銅を取ったハーフパイプとか、レースじゃないほうのスノーボード競技は日本人向きだなあ。体操に近いからね。小柄で身軽なほうがいい。平野歩夢クンなど内容的には世界一ではないのか。あ、ショーン・ホワイトがいるか、でも今回はよほどひどい出来だったようだ。このボードの王様も、しかし、もはや上がり目はないだろうから、これからは平野時代の到来だろう。それはたぶん世界的に歓迎されることでもあろう。

 スキーは長い伝統があるが、ボードは近年だからね。だから、若い人にはボードのほうが断然人気あるし、今後の市場拡大についてもスキーよりはるかに有望、そういうこともあるので、今後の拡販が期待できる日本、そしてアジアに対する思惑もある。だから、日本、中国などに対して若干甘い採点となっていると感じているのは僕だけか? ショーン・ホワイトはおもにアメリカを中心としてボードの拡販に貢献してきたが、平野クンであれば日本とアジアである。それにはショーンのような英雄になることだが、はたしてどこまで?
 終わった後もクールだったのは、そもそもスノーボーダーにとって、オリンピックはそんなに重要ではないからだろう。

 そして、フィギィア男子のフリーも夜中すぎて観られなかった。が、SPの100点越えは観た。羽生クンはすごい。まだ19歳だし、羽生時代の到来だな。キムヨナ級の演技、と思ったら、キムヨナの前のコーチなんだとか。選曲も渋い。「パリの散歩道」、ロックファンならおなじみ、超絶ギタリスト、ゲーリー・ムーアの曲だ。

 ひとつものすごく気になったのは、初戦の韓国戦に負けたときのカーリング女子の小笠原選手の発言である。直前にレギュラーが一人インフルエンザで交替しての敗戦だったが。「このメンバーでは、私と船山さんで何とかしなければいけない」と言ったのである。
 おいおい、そりゃひどいでしょ、あんたキャプテンなんでしょ、自分が何言っているのかわかってんのかなと。他の選手はさぞかし傷ついたのではないか。チームのリーダー、しかも30半ば過ぎの大人(子持ちらしい)の発言ではないな。後でまずいことを言ってしまったと気づいたのだろうか。いくら負けるはずがない相手に負けたとは言っても、こういうことを言っちゃダメね。というわけで。もともと弱い上にこれではカーリングはダメでしょ。それに、こんな人、旗手にしちゃダメでしょ。

 ま、しかし、やっぱりオリンピックは楽しい。東京に大雪が降っていたり、久しぶりに自分がスキーに行ったのも影響しているのか。とにかく、沙羅ちゃんが今後ものすごい選手になることを期待している。アメリカで、サメに襲われて左腕をなくしたもののその後プロサーファーとなった少女がいる。彼女を描いた映画「ソウル・サーファー」のラストにはこんな言葉があった。
「人生はサーフィンと同じだ。波に呑みこまれてしまってもいい、また次の波を待てばいいのだ」

菅野所長のエッセイ:さまざまな雪


2014.02.07

 今週は東京も寒い。今年一番の寒さだ。明日は野暮用があるので、休まなければならないので、今日のうちにアップしておきます。と思ったら、明日は10年に一度レベルの大雪予想。面接にこられないひとも多いかもしれない。

 さて、日曜にスキーに行ったときに頃は4月の陽気だった。前日の予報は「雨」。しかし、晴れ男の面目躍如、見事に晴れた。それはよかったが、肝心のスキーのほうがダメダメで、全然身体が板に乗らず、スピードについていけない。最後の一本あたりでこうすればいいんだよなあと取り戻してきたが、それで終わり。日帰りスキーは初めてだったが、もう一日あればかなり戻るだろうなと。
 しかし、久しぶりのスキーは疲れる。ほとんど行かない上越の雪だしねえ。途中からは、200メートルも滑ると筋肉がもたなくなり一休み、そしてまた滑り出すという感じで、その調子でリフト3本分くらいで休憩だ。でも、そのときに飲むビールは最高だった。ゴルフなんかよりもはるかに沁みるなあ。帰りに練馬でちょっと飲んで帰ったのだが、気がつくと朝方の4時過ぎだった。ちゃんと着替えてベッドに入っていたが、いつ寝たのかも覚えていない。逆算すると、9時前には寝てしまったようだ。こういう眠り方は理想的である。翌日以降、懸念された筋肉痛もたいしたことはなかったし。ただ、駅の階段を登るのがちょっときつかった。
 このところ冬の間は運動しないけど、これからはときどきスキーをやってみようかなと思った次第である。

 で、開会式前からソチでは競技が始まっていて、昨夜は大好きなモーグルを観た。5回目出場の上村愛子、もう34歳だが、昨日はひじょうにいい出来だった。彼女としてはほぼ満点と思えたが、それでも7位。やはり世界の壁は厚いということか。この一年くらい競技を辞めていたのも大きかったかもしれない。
 まあ、事情はあるんだろうが、別にケガしてたわけでもなし、そんな迷いの中にいたのなら勝てるものも勝てないとは思った。仕事ならば、辞める辞めないの選択なんてないもんな。働けなくなるまでやるもんだとハナから決まっているからね。メダルが取れないからという理由なんだろうが、ジャンプの葛西のような競技に対する覚悟ではないなあという印象である。僕は上村のスキーがひじょうに好きなだけに今のところそこはちょっと残念だった。
 とくに採点競技というのは審判のイメージが大事で、よい滑りを審判のイメージに植え付けていないと点は取れない。昨日の上村の出来で7位、それはないよ、もっと上位でしょうと思ったのだが、こうした競技はオリンピック前から戦っていないとダメだということだ。

 これに比して、女子ジャンプの高梨沙羅ちゃんなどはすごい。ワールドシリーズ13戦して10勝、とくにこの2戦は逆転での2連勝という結果を残してソチ入りである。こうなると、審判も他の選手もほぼ沙羅ちゃんが勝つだろうと思っている。実際は勝負が決しているわけではないが、今回の逆転の2連勝は、一本目にリードした選手に対して、2本目で沙羅ちゃんがいいジャンプをして、プレッシャーでがちがちになった一位の選手が失敗ジャンプをするというパターンである。これはもう間違いなく強者の勝ち方だ。
 ま、しかし、オリンピックは別物だからなあ。でも勝って欲しい。小さな身体にものすごい大きなものを背負っている彼女のことを思うとね。

そういえば、大雪となると競馬は中止になるまもしれないなあ。

菅野所長のエッセイ:カウンセラーの密かな楽しみ


2014.01.31

 今週は可もなく不可もなくだったな。ということは、けっこうマシだったということである。WIN5が久々に当たったが、その配当が3万円ちょっと。あれだけドキドキハラハラしての報酬がこれではまるで釣り合いが取れないが、それでも当たらないよりいいと考えるしかない。

グラミーの授賞式があったので、そこからふと思い出したら、やっぱり「アメリカンアイドル」シーズン13がちょうど始まっていた。見逃さなかったね、何とか。審査員が替わってしまい、雰囲気がちょっと違うが、楽しいものは楽しい。去年のキャンディスのような逸材が出てくるかはまだ全然わからないが。ところで、キャンディスの初CDが出ているとの情報があり、探したがまだないようだ。いったいどうなっているのだ。
 しかたないから、ジェシカ・サンチェスのCDが安かったので買ってしまったが、もうひとつ面白くはない。期待した分の失望感を埋めようと思ったのか、まるでそんな気もなかったダイアナ・クラーソンのCD、DVDのセットを購入してしまったではないか。このところのグラミー賞が面白くないことも要因かな。結果はともかく、今回もいまいちだったね。

 日曜はスタッフ数名とスキーに行くことになっている。日帰りだし、気温が高いし、上越だしで、コンディションは悪そうだが、2,3年ぶりなので楽しみである。この季節はゴルフはしないし。ただし、手袋とかゴーグルが紛失してたので、ネットで安いやつを購入。こういうものまでレンタルするのは、けっこうばかばかしいものがある。これで、板と靴とポールのセットで済む。あ、まだボードのほうにする選択肢もあるのだが。いずれにせよ、どこかに遊びに行くなんて2ヶ月ぶりくらいではないのか。たまにはいいんじゃないかと。仕事のほうはずっと忙しい感じだものな。

 いつもこの季節は気分が憂うつなのだが、今年はそうでもない。自分の調子は駅の階段を登るときでだいたいわかる。悪いときは身体が重くてしんどい。朝も早く起きて別に元気でいるわけでもないが、まあオートマティックに歯磨きとか着替えができるし。これがダメなときだと、目が覚めたときから気分が苦しい。
 何が要因かわからないが、カウンセリングに来られる方々がみな必死でがんばっておられるので、自分もがんばらなきゃなと日々思いを新たにできるからかもしれない。前はそういうことを思っていなかったわけではないが、このところ前以上にひしひしと感じているのは確かだ。

 あとはこのところ、家での時間はひたすらケーブルで映画を観ていることかな。だいたい帰宅は10時から10時半になるが、そこから寝るまでの時間で映画が一本観られる。これがかなり習慣的になってしまった。朝早く起きすぎたときにも観られるし。JCOMにはメガパックというのがあって、月に980円で映画やドラマ、アニメ、音楽などのコンテンツが観放題なのである。かつて観たものもあれば、見逃していたものも。なんせ5000本以上のコンテンツだからとうてい観きれないのだが。
 その中で自分としてはヒットだったのが、「オーシャン・オブ・ファイヤー」という映画。愛馬ムスタングに乗るカウボーイが、イランの砂漠レースに挑戦するという話だ。映画自体も面白いと思うのだが、馬好きの人間には堪えられないものがあるね。とくに大平原に何百頭のムスタングを放つ最後のシーンは圧巻だった。馬を登場させる映画といえば、最近では「シービスケット」などが思い出されるが、「オーシャン -」は最高ではないかな。と、こういう発見があるから、懲りもせず、飽きもせず、今夜も観ちゃうわけである。

菅野所長のエッセイ:知事選に思う


2014.01.24

 田中投手のヤンキースとの大型契約にはちょっとびっくり。やっぱり金はあるところにはあるもんだ。確かにすごい選手だと思うが、ここまでの条件になるとは、よほど代理人がやり手だったのだろう。ヤンキースの負けという感じがしないでもないが、考えてみれば、上限無しのポスティングなら、年俸の他に100億くらい必要だったことを考えればそうでもないのか。損したのは楽天ということね。

 都知事選がスタートし、投票用紙も早くも届いている。細川陣営は「脱原発」を強調するが、都民としてはあまりそれに共感していないように見える。前回400万票超を獲得した猪瀬がああいうどうしようもない人間だったことを知り、脱力したままの人も多いのではないか。投票率も上がらなそうだ。内容的には宇都宮弁護士あたりが言うことが至極まともだが、この人は弁が立たないのでまず無理だし。

 ほんとは教育や福祉の問題をもっと取り上げて欲しいところだが、東京というのは特別なところなので、候補者の思想信条を全面に持ってくる選挙戦もありかなと僕は思う。東京のGDPは韓国やメキシコといった国家を上回るほどで、国からの交付金にも頼らないひとつの独立国のようなものだ。東京でのムーブメントが全国に波及する向きは十分にあるしね。それを怖れるからこそ、首相もさかんに牽制球を投げるし、除名した人間を立てるという筋の通らないことも平気でやると。

 原発問題にかんする分かれ道のひとつとして、災害に対する認識や感覚の相違ということがあるのではないか。それは新潟の柏崎刈羽原発の再開をめぐる東電社長と泉田知事との会談で思いを新たにした。泉田知事は地方首長の中でも反対派の先鋒と言えるが、その頑固さというのも彼の災害に対する認識から来ているはずである。
 新潟中越地震があったとき、彼は知事に当選したもののまだ着任はしていなかった。前知事が離職し、まだ次の知事がいないときのわずかな空白のときに地震は起こったのである。すなわち泉田知事の着任後はこの大災害に対する対処だった。着任早々に思いがけずも緊急な難題を与えられた彼の苦労はいかばかりだったろうか。そのような経験が新潟出身でもある彼の考えを底支えしているように思える。年齢的に新潟地震のことは覚えていないだろうが、それでも身近な人からは聞かされていただろうし。

 このへんは僕も同じであって、自分がそういった目に遭っていなかったらここまでかたくなに反原発を唱えないかもしれない。また、災害というものを身をもって知っているかどうかははっきりとした分かれ目だが、その地を訪れてその有様を直視する、間接的な経験であってもかまわないとも思う。体験偏重になることはどうかと思うしね、しかし、偏重になるかどうかは本人次第だ。どう受け取ろうが、どういう考えになろうがいい。とにかく行ってこいと当時僕が言っていたのは、結局、頭の中だけで思い描くだけでは追いつかないものを知るのが大事だと思っているからである。それは、この仕事をしていれば必須の姿勢だよねえ。

 そりゃほんとに安全ならいい。コストもかからないならいい。しかし、福島での事故があった。住民はもはや故郷に戻れない。後始末の費用はいくらかかるか、いつまで続くかもわからない、そしてそれは国民の負担だ。それなのに原発は安全だ、安上がりだとぬけぬけと言う連中は許せないのである。こういっては何だが、自然災害ならまだしかたないという気持ちにもなる。でも人災はね。JR北海道もしかりで。ああ、でもあの事故を自然災害だと思っている人もいるのか。それはリテラシーがなってないね。

ああそうか、簡単なことだったな。「許せん」なのだな。犠牲になった人、故郷を追われた人、そうした人の気持ちを考えろよと。沖縄の基地問題も根底はここだよね。金をやるから文句は言うな、それでいいのかと。石破に圧力をかけられて屈服した沖縄選出の議員たちよ、悔しいだろうが、それでも声を振り絞ってくれないかと思うのだが。

菅野所長のエッセイ:徒然な一週間


2014.01.18

 今週のニュースで目を疑ったのは、「セレッソ大阪がフォルランを獲得」だった。不景気にあえぐJリーグでは、大物外国人選手が来ることなどほぼ皆無。すごかったのは初期の頃だけだったもんな。久しぶりの驚きである。それにしても、不動のエースのはずの柿谷の立場はどうなるんだろう?

 本田のACミランデビュー戦もしっかり見た。これはもう予想通り、ビッグクラブでもやれる実力を示していた。ゴールが決まってれば言うことなかったが。と思ったら、数日後の初先発ではしっかりゴールを決めてるし、まったく問題ないね。とは言え、ミランはいつの間にかひじょうにバランスの悪いチームになっていて、カカーとバロテッリ頼みといったところか。ここの中盤に本田が入るのは大きい。

 長友もゴールを決めたのだが、こちらはダイジェストでしか見られなかった。その同点ゴールはまあまあという感じだったが、オフサイドを取られて幻となった2点目のゴールは素晴らしかったね。すっかり調子に乗っている長友だが、一説にはレアルやマンUが狙っているというのも多少はうなづける。実際、本当かはともかく、マンUがオファーを出したという最新ニュースまである。デフェンスだけなら合格だし、これに攻撃力が加わればさらなる飛躍は可能だ。しかし、長友の得点はいつもマグレっぽいからな。

 そのマンUはけが人続出で、こうなるとさすがに香川にも出番が回ってくる。先日の試合を観た人は、得点こそなかったもののひじょうに良い出来だったと評価していた。

 鹿島の大迫がドイツ2部のチームに移籍。2部ならけっこうやれるだろうな。たぶん、クラブ側も、一年くらいで他チームのオファーを受け、移籍金で儲ける算段と見た。もちろん大迫もそのつもりのはずである。現実になるかどうかはともかく、長友の場合も、移籍金は相当らしいし。

 フォルランが来ることに驚いたわけだが、考えてみると情勢は昔とは違い、いまは日本人選手が海外に大事な商品として移籍される時代なんだな。長友も、本田もそうだし。つぎは柿谷あたりか。

 国内では、浦和に広島からGK西川が移籍だと。これは大きいぞ。キャンプテンシーとかは除いて、単にGKとしての実力なら川島より西川のほうが上だろう。いつも補強を繰り返し、たいして成果のでない浦和だが、来シーズンは相当期待できると見た。

 サッカーばかりじゃない。BSかWOWOWだったか、アデルのライブもよかった。サンタモニカの小さなクラブでのアコースティックライブ。ピアノとギターだけ。あのロイヤルアルバート・ライブとはまったく違う趣で、むしろこちらのほうが良い。

 と、そう悪い感じではない過ごし方と言えるのだが、金曜はいつになく早く目が覚めてしまった。しかたなくニュースなどを見ると、そうだった。阪神の震災からちょうど19年である。もう19年か。神戸でも早朝から起きておられる方が多いことだろう。
 神戸の消防署が災害時の優先事項を消火にし、救助は後回しだと住民会で説明。住民も納得。その関係はひじょうに成熟していてかえって胸に迫る。消防関係者も、忸怩、断腸の思いだろうが。当時の記録は消防署の刊行誌に詳しく、署員にとってものすごい状況であったことがわかる。それを描いた芝居「オレンジ」、何年か前に観たが、まだどこかでやっているのだろうか。

 都知事選の候補者がほぼ出そろった。見所は、小泉進次郎がはたして舛添の応援をするのかだが、どうもこのままではそれはないようだ。すると、やはり舛添は負けか。それはいいのだが、細川の殿様、76歳っていうのはどうなんだ? 

そのまんま東は勝ち目がないとみて出馬せず。これは喜ばしい。確かに勝ち目ないし。もう政治のことはいいから、パチンコ屋の営業にもっと精を出してなさい。 それでもアントニオ猪木よりはマシでしょ。ロッドマンとかね。小遣い稼ぎなら政治は利用しないことだ。

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