菅野所長のエッセイ:わが身を守る


2014.11.28

 思いの外ダメージは大きかった。今週になって、もちろん先週よりはいいのだが、帰る頃になるとすごい疲労感を覚える。しかし、食べるほうは大丈夫で、よく眠れる。これは疲れた身体が回復を要求しているからだろう。

 週初めに良くなったと思ったのは、相当ひどかった状態から少しでも戻るとすごく良くなったかのように錯覚したからではないか?いわゆるコントラスト効果というやつで。元通りになるのは来週以降かな。

 しかし今回は学んだぞ。自分の限界がちょっと見えたからね。最初は風邪かなと思ったのだが、振り返れば疲労からくるものに違いない感じ。結局はオーバーワークだったわけね。これからは2,3日の出張後は一日の休みを入れよう。それ以外でも、もう少し休みを入れよう。面接数も減らさないといけないし。今年はかなりがんばってやってきたのだが、やはり年齢相応っていうのがあるようだ。もっとわが身を守らなくてはね。

 わが身を守るといえば、見本となるのは安倍政権だな。選挙になると700億からの経費がかかるという。無駄使いもいいところ。税金なんていくら無駄にしてもいいから自分を守る、そんな鉄面皮ぶりは、みっともないこと夥しいが、100分の1くらいは今の自分に必要かもしれない。

 しかし、今回の選挙、立候補者は何か話すことがあるのか? となると、名前の連呼しかないので、休日は騒音に悩まされそうだ。ま、今回のことで、日本の政治は政治家のためにあるということがよくわかるよね。「政治家の、政治家による、政治家のための政治」てか。正確を期そう。「政治家の、政治家と官僚による、政治家と官僚と財界のための政治」か。連中はほっといて、やはり自分たちがしっかりしなくちゃ。それと、自分たちはああいうふうにならないこと、それが大事ね。私欲というのは結局すべてをダメにする。日本のバスケット界がいい例だ。

 韓国で産経新聞の裁判が始まるが、ふつうに考えれば新聞側に悪意があったと証明するのは難しいはずだ。先日は船の沈没事件での船長が死刑にならなかったのをみれば、今回もまともな結果に収まることも期待できるが、対日本となるとどうなんだろう。しかも、韓国は近年マスコミに対してはとくに言動を抑圧する方向にあるし。
 で、これが対岸の火事かというと、日本での安倍政権の方向性もこれにどんどん接近していて、首相などあからさまに報道を規制しようとする発言が相次いでいる。秘密情報保護法を成立させてますます治安国家を目指している政権によって、日本社会も韓国化、中国化していっている。デモも言論もあぶないぞ、そのうち。この3国、そのメンタリティたるや、アジアと言えば、やっぱりみんなアジアなんだな。

 競馬で負け続けなのもメンタル面では大きいような気がする。ジャパンカップはどんと当てたいなあ。本命が③ジェンテルドンナであることは疑いようがないが、相手が難しい。調教がよかったのは、④エピファネイア、⑧デニムアンドルビー、⑨イスラボニータ、⑯フェノーメノである。しかし、①ジャスタウェイ⑥ハープスター⑩ワンアンドオンリー⑮スピルバーグの実力馬も捨てられない。今年はすごいメンバーだな。外国馬を入れるとGⅠ馬が10頭!

 うーむ、まず買うとしたら、ジェンテルドンナとスピルバーグの2頭軸マルチかな。大穴は、カナダの⑦アップウィズザバーズ。しかし、何だか当たりそうもない。展開有利なイスラボニータのがんばりに懸けて、③ー⑨のマルチも押さえたいところだ。

菅野所長のエッセイ:泳げアヒルくん


2014.11.21

 先週以降やっぱり大変なことになってしまって、ずっとおかゆとうどんくらいしか食べられない生活だった。今日は勇気を出してデパ地下のお弁当を買って食べたが、とくに何ともなさそうなのでホッとしている。

 頭痛と背中の痛さは続いているけどね。こうやってキーを打ってると、もう1分くらいで耐えられなくなってくる。まあしかし、毎日少しずつ回復している感じだ。これが若いときなら、1~2日でピンピンしていたんだろうが。

 明日からは待望久しく、純粋な遊びに出かけるのだが、酒が飲めるのかどうかが大きな課題である。

 この調子が最悪だった間、僕の心を慰めてくれたのがケーブルで観たドラマだった。キーファー・サザーランド主演の「TOUCH」というやつで、シーズン2までで終わったようだが、なかなか面白かったね。子役も主演なのでこれ以上の続編はないのかもしれない。それにしても、キーファーはどんどん父親のドナルドに似てくるなあ。

 ところで、このドラマのこぼれ話で初めて知ったが、1992年に香港を発った船が悪天候に巻き込まれ、積んでたコンテナを太平洋上に落としてしまったんですと。その中身は約30000個のラバーダック。ラバーダックとは、あれですよ、お風呂の中で浮かせたりする黄色いアヒルのおもちゃのこと。

 壊れたコンテナから外に出たアヒルたちは、潮流に乗って、3分の2がインドネシアやオーストラリア、南米へ、3分の1が南米から北上し、北米大陸を沿いに一年後にアラスカ沿岸で発見され、さらに西に進んだのは、3年後に日本にも漂着したと。
 さらには、ベーリング海から北極に行った連中は氷づけになったまま移動し、2000年には大西洋に現れた。そのへんで氷解されたアヒルは2003年に北米大陸東側の大西洋域で確認される。その後はイギリス、アイルランド方面に向かっているとのことだ。
 ここまでの情報は2007年まで。その後の消息は聞かないものの、10年以上も経って、いまもたくさんのアヒルが世界のどこかの海を旅しているのだと思うと、何とも愉快というか微笑ましいというかね。
 とくに落ちのない話で申し訳ないし、僕が知らなかっただけで多くの人は知っているかもしれないが、中には初耳の人もいるだろうから、ちょっといい気持ちのお裾分けということで。

 日曜日はマイルチャンピオンC。まるでわからない。どうせ観られないし、こうなったら人気ではあるが⑮ミッキーアイルの大逃げに賭けよう。ミッキーアイルの母の父はロックオブジブラルタル、あのアヒルたちもジブラルタル海峡を通ったのもいるかもしれない。2,3番手につけそうな人気薄の⑩ローエングリンとの3連複ならいい馬券になるだろう。 ハイペースで逃げつぶれた場合に浮上するのは⑬トーセンラー。これと⑨ワールドエースとの2頭を1,2着固定にしての3連単だ。今回はローリスクでいこう。

 

菅野所長のエッセイ:元気を取り戻せ


2014.11.14

今週はきつかったなあ。

 月曜あたりからどうも身体がだるくて、火曜になってこれは風邪かもしれないと思ったのだが、そこへもってきて水、木と和歌山に出張しなければならなかった。薬で悪化を抑えつつ、がんばって仕事をしてきたのだが、終わったときにはもうヘトヘトになっていた。

 泊まったホテルがいけない。エアコンを切っているのにものすごく暑くて、裸でないと寝られず、それでも布団を掛けると暑い。もしかして、自分の熱のせいかなと思ったが、ホテルの口コミを見ると、部屋が暑いというコメントがあった。もうあのホテルを利用するのはよそう。部屋から眺める和歌山城は見事だったけどね。日本の城の中でもかなりのものじゃないかな。

 それから、和歌山からさらに南下した田辺市では、モチガツオというのが有名らしい。普通のカツオとは違い、相当のうまさらしい。3月から5月が旬というので、ぜひ田辺に行ってモチガツオを食してみたいと思う。そして、思ったよりも和歌山は近い。新大阪から特急で1時間。もっと栄えてもよさそうなものだが。

 とにかく、身体は相当に参っている。静養が必要だ。今日は奇跡的にキャンセルが相次ぎ、早く帰れることになった。ありがたい。天の配剤というものだろうか、不憫な僕を気遣ってくれているかのようだ。明日を乗り切って、ゆっくり休めば来週には元気になっているかもしれない。とは言え、来週もキツキツのスケジュールだ。ほんとに大丈夫なのか? 寄る年波というやつに呑みこまれそうだ。

 日曜日はエリザベス女王杯。天皇賞で絶好調でもないジェントルドンナがイスラボニータを競り負かしたのを観ると。かつてこの馬と互角の勝負をしていた⑩ヴィルシーナが人気がないのはありがたい。厩舎サイドのコメントは弱気だが、僕としてはこの馬から行って負けても悔いはない。
 ⑩を軸として、①ラキシス、⑤ヌーヴォレコルト、⑫ショウナンパンドラからまずは3連複、手広く流す。人気薄が来れば高配当だ。⑧のグレースフラワーなんてのも面白い。あとは人気馬にヴィルシーナを絡めた3連単だな。 
 
 今日は早々に静養にはいるのでこれでおしまい。そうそう、ヴィルシーナが来れば元気になりそうだ。

菅野所長のエッセイ:フットボールの記憶


2014.11.07

 うーむ、何も書くことがないなあ。天皇賞は当てたことは当てたが、成果はパッとしなかったし。ただ、疲れたというだけだ。この調子で年末までがんばれるのかいささか不安である。どこか温泉のある病院に入院でもしたいものだ。

 この頃、行き帰りの電車の中ではつねに本を読んでいる。「サッカー戦術の歴史」(筑摩書房 2010)というイギリスのジャーナリストの本なのだが、分厚くて中身が濃くて濃くて、ぼけた頭に入るには一苦労である。でも、これが面白いんだなあ。一回読み終わって、ただちに2回目の読み返しに入っている。電車の中でしか読まない。家で読んでいると、寝るのが遅くなったり、朝に読めば遅刻しちゃうからだ。そのペースだとだいたい、読み終わるまで2週間はかかるな。この本は3回は読まないといけない。

 内容はサッカーの戦術にかんするものなのだが、同時にサッカーの歴史もひじょうによくわかってくる。イギリスで生まれ、世界に広まったこのスポーツが、その土地の文化や風土に応じて多彩な進化を遂げていくプロセスは、ほぼ文化人類学の範ちゅうだ。著者もなかなかの人物で、そこそこに哲学の素養がかいま見える。

 ほとんど本を読まない人間になってしまったけど、やっぱり面白いものはあるんだなと痛感。教えてくれた人には感謝だ。こんなにのめり込んだのは10代以来だ。

 ま、サッカーを二分するヨーロッパと南米の関係だが、簡単に言うと、19世紀、イギリスは海外投資の20%を南米に向けていた。で、多くのイギリス人がブラジルやアルゼンチン、ペルーやウルグアイなどに住んでいたわけだが、そこでサッカーに興じるうちに現地に定着したと。当時、アルゼンチンの首都ブエノスアイレスには45000人のイギリス人がいたという。そんなこと知らなかったもんな。
 大英帝国の没落とともに、イギリスは南米での威光を失うわけだが、彼の地にサッカーだけはしっかりと残った。そして、独自の発展を遂げていくわけである。

 ヨーロッパでももちろんサッカーは広まり、人々を熱狂させるのだが、サッカーがサッカーらしくなっていたのは、母国ではなく、オーストリアやロシアだった。現代につながる戦術、フォーメーションというものが確立されたのは、ディナモ・キエフというチームからではないかと著者は言っている。結局サッカーの母国であるイギリスは、サッカーの進化からつねに後れを取っていくのである。第1回目のW杯に優勝したのが、人口にしたら500万人程度の小国ウルグアイだったのは、それを象徴する出来事だった。

 まったく違うスタイルのサッカーであるヨーロッパと南米、そのどちらが上かを決めようということで、クラブチームの対決が始まる。1960年、インターコンチネンタル杯、ヨーロッパの代表チームと南米の代表チームが世界一をかけて、ホーム&アウェー方式で戦う。その後このホーム&アウェーはいろいろと問題が発生するので、中立国開催で一発勝負にしようとなって、トヨタカップが始まる。それが1980年。東京は国立競技場。

 かたやサッカーの母国イギリスから、創生期からの名門クラブであるノッティンガムフォレスト、かたや第1回W杯の覇者ウルグアイのナシオナル。この本を読んだ今思うと、これはひじょうに象徴的な対戦だったわけだ。

 そして、僕は、国立の片隅からこの歴史的な一戦を観ていたのだった。当時、国立のピッチはひどいもので、しかも冬。芝はほとんどはげ上がり、至る所に砂が入っていて選手には気の毒だった。天気が良かったのが救いだった。

 試合は、まさにウルグアイが残酷な勝ち方。わずかなチャンスを泥棒猫のようにものにして、あとは堅く封じ込めた。国立というサッカーには観戦には不向きな条件もあって、試合自体は面白くはなかったね。でも、この結果自体も象徴的だったのだな。

 試合ではなく、これが世界かと思わせたのは観客だった。たぶん半分かそれ以上は外国人ではなかったか。それが試合が始まる前からいろんな応援をするわけで、日本の盛り上がりに欠けるスタンド風情しか知らない身としてはそっちのほうが面白かった。あれから34年か、ずいぶん前だなあ。

 と、サッカーに興味ない人にはまったくつまらない話だ。すみません。書くことがないもんで。

 

菅野所長のエッセイ:変化は楽し


2014.11.01

 今週もやっと終わりに来ましたねえ。良かった。先週の疲れがなかなか抜けないので、どうなるのかと思ったが、ここまで来ればもう大丈夫だな。

 菊花賞、大本命ワンアンドオンリーが着外という事態になったが、わずかに3連複をちょっとだけ買ったのが救いである。しかも、血統面からここで推した馬がみな上位(2着、3着、5着)に来たので、面目は立ったかなとせこい自己満足。3連単の配当も思ったよりつかなかったし、まあいいかと。

 今週は天皇賞。本命イスラボニータが外枠⑮なのが気がかりで、一応マルチを買っておくのが賢明だろう。しかし、3着は外さないはずだ。他の有力馬は、ほとんど休養明け。①ジェンテルドンナは、去年と同じステップではあるが、調教から見て絶好調とは言えない。調教がやけにいいのは⑨フェノーメノ。2000では距離が足りないとはいえ、これを相手筆頭にしたい。基本は⑨ー⑮の3連単マルチ。相手は、①ジェンテルドンナ③デニムアンドルビー④スピルバーグ⑤エピファネイア、続いて3着候補に②ヒットザターゲット⑧ディサイファ⑭マーティンボロ⑱マイネルラクリマだな。イスラボニータ1着固定の馬券も買いたいし、①ー⑨ー⑮の3頭ボックスを厚めに買うか。

 と金曜はそう思っていたが、この雨だ。イスラボニータの不安要素が増す。馬場が悪くなって浮上するのは、⑱マイネルラクリマ⑤エピファネイア⑧ディサイファ。これからの3連複も考えようか。

 で、何だ今週は、何があったのだ? 野球かなあ。僕の知り合いには阪神ファンが多いが、まるでかなわなかったですね。とくにソフバンの左腕大隣は、いまどこの球団でも打てない。以前はだらしない投手だったが、病気を乗り越えて何かが変わったのだろう。

 人間が大きく「変わる」というのは、そういう大変なことがあって「変わらされる」ものである。自分の意思で変わるなんてことはほとんどない。ある状況になって、こうしなければいけないという適応過程、それが変化であり、いい意味では進化ということだ。
 たとえば、こういう仕事に就いたからこうしなければならないとか、こういう立場になったからああしなければいけないとか、役割が人を変えたり、作ったりすることもある。これは時間がかかるけどね。

 まあしかし、自分なりの努力や工夫で状況を変えていくこともできるだろう。メジャーに渡った先駆者野茂秀夫は、日本のプロ野球に入ってずっと制球難で苦しんでいたが、あるときに「もっと人と話してみたら」というアドバイスに従い、それまでよりも人とのコミュニケーションをとるようにした。すると、どういうわけかコントロールが良くなったという。当時その話を聞いた僕にもよくわからない。でも、そういう行動の変化、日常の変化が彼の中の何かを変えたのだろうとは思う。

 つまり、自分が変わりたければ、性急なことをしないで、変えられるものを変えることだ。それが何かに結びつくとか打算的なことを考えずに、何でもいいから変えてみる。たとえば起きる時間とか。だってそれだけで一日の過ごし方は確実に変わるからだ。

 僕の場合は別に変わりたいと思ってないので、何もしない。ただ、毎日やることをやっているだけで。でも何かが変わるのは好きである。それだけでも変わるしね。人の見方とか、ものごとへの考え方とか。
 それまでとは違う考え方ができるようになるのがいい。だいたい5年くらい経つとけっこう変わっている感じがする。でも、たぶん、ほんの少しの変化なんだろうが、その錯覚もまた楽しい。

 

菅野所長のエッセイ:体質という問題について


2014.10.24

 女性の活躍を謳った政権なのに、その肝心の女性大臣があっという間の辞職。結局政治という世界では、男も女もかわりないということか。そもそも小渕優子なんかは2世議員だしね。観劇代やらこんにゃく代やらネギ代と、いかにもな田舎政治家丸出しの会計報告だが、テレビのコメントの中には「悪意はあまり感じられない」というのがあるので驚いた。しかし、作成者について、名前だけを誰かに借りてたというのは、そもそも悪いことをしている自覚がある証拠だろう。

 いずれにしても、地元の後援会や有権者にいろいろな金品などを寄与するのは地方での昔からのやり方であるが、今もそれが堂々と行われているところが何ともである。これが風土や体質というもので、その中から育つ作物(政治家)はろくでもない不良品ばかりなのも当たり前と言える。

 在特会と橋下知事の対談なんてのも、見るにも聞くにも堪えないものだったが、在特会というのがどんな集団なのかは、トップがあれなんだからとリアルにわかるし、一方は維新の会のトップで、こんなのに従っている人間というのもどういうレベルなのかは察しがつくだろう。そういう意味では、これはよかったと言えるのか。

 風土や体質というものは確かにあって、それはその中にいる人間にはなかなか自覚できないものである。日曜日にNHKのスポーツニュースの中で、まさに日本サッカーの風土や体質ということに触れ得た(と僕が思う)企画があった。
 何より、番組内で提出された浦和レッズ対セレッソ大阪戦のエピソードは、日本サッカーの体質を考える意味で衝撃とさえ言えた。
  場面は、浦和の選手からボールを奪ったセレッソ、柿谷がドリブルで右サイドを進むシーンである。このときディフェンスの槙野が、柿谷にボールを出せと指示した。柿谷の後方では、ボールを奪われたレッズの選手がまだうずくまっていたのである。柿谷はすぐにボールを外に出した。
 これが驚くのは、インプレーだったことである。つまり多少強い当たりだったが、審判はセレッソのボール奪取をファウルとは認めず、当然笛も吹いていない。だから槙野がボールを再び奪って、それでボールを外に出すのはまだわかる。番組の各コメンターは、基本的に審判が笛を吹かない限り、プレーは続行されるべきという、プレーレベル向上のためには審判がどうすべきとか、まあ当たり前の話に終始したが、それはあまり本質的なものではない。そんなことよりももっと根深いものを僕は感じたのだった。

 世界と比較すると、ファウルを受けたとき、Jリーグの選手たちは必要以上に痛がっているように見える。それはフィジカルの違いなのかとも思うが、実はメンタルなものが大きいのではないだろうか。

 そうする目的はふたつある。、ひとつは、チャンスを生かせなかったのは俺のせいじゃなくてファウルのせいだという、自分および味方への言い訳としてのアピールである。

 後者にかんして思い浮かぶのは、僕のもっとも嫌いなプロゴルファー尾崎将司。彼はグリーン上でパットを外すとすぐに周りを見た。それはどう見ても、俺はちゃんと打ったのに入らなかったんだというアピールである。俺は悪くない、グリーンがヘンなんだよ、すごく難しいんだからという自分と周囲への言い訳の身振りだった。

 もうひとつは、向こうのチームはこんなにラフなプレーをしてくるんだという審判へのアピールである。これは次にはイエローカードを出させたいという考えがあるように思う。つまり、イエロー、レッドというかたちで向こうの戦力をダウンさせようという考えだ。ぼくはバスケットやっていたからよくわかるが、状況によっては監督や選手もそういうことを考えて、5ファウルを誘おうと意図することもある。だいたいその目論見は成功しないのだが。つまり、勝つことを目的としつつも、ゴールを決めて勝つのとはまた違うアプローチがあり、どうも日本ではこっちのほうにエネルギーを使う割合が多いのではないかと思った次第である。
 一見は、倒れた選手を思いやってのフェアな身振りに見え、観客も拍手を送るのだが、日本におけるその習慣の底流には、こういった感覚、すなわち消極的な勝利への向かい方が染みついていることあるんだろうなと思うわけである。
 日本代表を指揮するようになって、アギーレ監督が「自分が見てきた欧州や南米の選手たちは、生死をかけているかのようにプレイしていたが、日本は・・・」という言葉には彼の監督としての能力とは無関係にリアリティがあると思うが、こうした体質と深くかかわっているんだろうな。

 そこから振り返るに思うのは三浦知良の偉大さだ。カズがブラジルから帰国し、日本でプレーするようになって驚いたのは、どんなに汚いファウルを受けようが、何ごともなかったように立ち上がっていたことである。日本サッカーは、彼のまたぎフェイントやダンスを学ぶのではなくて、何よりもそのスピリッツを学ぶべきだったのだ。それに比べ、鹿島に来た晩年のジーコなどは、それは見事な技術だったが、一方で実にみっともない振る舞いをしていたものだ。

 とサッカーのことになるとついついである。
 日曜は菊花賞。たぶん車のラジオでしか聴けないと思うが、好きなレースだから楽しみである。本命は当然⑮ワンアンドオンリー。相手は菊花賞向きのスタミナのある馬を選ぼう。血統面からは、④サウンドオブアース⑩ゴ-ルドアクター⑥ショウナンラグーンとなる。④ー⑮の3連単マルチが本線だな。他は、②トーホウジャッカル⑫タガノグランパ⑭トゥザワールド⑯サトノアラジン⑰ヴォルシェーブまで。

菅野所長のエッセイ:山の教訓


2014.10.17

 先週の競馬は、土日月連続という変則開催。台風の影響で、京都競馬が火曜にスライドし、なんと4日連続となってしまった。土曜のメインレースを当て、その資金で日曜に増やし、月曜もまた少し儲けたが、よせばいいのに火曜のレースにも手を出して大負け。まったく懲りない人間である。パドックを見ないと当たらないと、わかっちゃいるのだが。

 何だかカジノ法案が審議中だが、ギャンブルの好きの僕だが絶対にやめたほうがいいと思うぞ。依存症を産むとかじゃなくて、国の経済をそれに託すという考え方が最悪だと思うからだ。しばらくは税金を上げられないとなるとこういうことに頼る。あまりにも知恵がない。情けない。

 まあしかし、忙しい中でも、原稿を何とか書き進めているからよしとしよう。もう10月分のノルマは果たした。どうしてできるのかというと、できることからやっているからである。数ヶ月後にはストックがなくなるので呻吟するのは必定。でも、できることをやっているうちに、次の糧になる部分もあり、何とかなるような気もする。これまでそういうスタイルでやってきたし。できることからやっているうちに月日も過ぎる。ストックがなくなる頃には半年は過ぎているだろう。半年の間には、また新たな考えやプランが出ているものだ。つまり、今と同じ景色ではなくなっているわけ。

 こういうのは山登りと一緒ね。本来ああいったストイックなものは好きではないけど、確か高一のときに、山岳部のやつを中心にみなが行くというので僕も行くことになったのが始まり。登ってる最中はきつくて後悔するが、山頂に立つとやはり気持ちがいい。それはよくわかった。その後、何回かは行ったが、積極的に好きなわけでもないので、次に行くようになったのは10年後のことだ。周囲に山が好きな人がいて、これもお付き合いという感じでしばしば行っている。そして行くたびの登りで後悔し、山頂に立つと、「ま、今日のところは許してやっか」という気分になる、これの繰り返し。
 で、いつも考えるのは、こんなに登るのがきついのは何でだ?ということ。結論から言うと、なかなかゴールにたどり着かないからだろう。なかなか結果が出ない、終わらないと思うと、人の意欲はそがれるものだ。「あと何キロ?」「まだ20キロ」、「あそこが頂上?」「あれは手前の峰」なんて会話があり、そのたびに反応性のうつ状態になる。

 で、ある頃から、ゴールのことはあまり考えないようにした。この坂を登るまでとか、あの大木のところまでとか、むしろ長期的な視野をもたない。そのほうが楽である。とにかく山というのは、尾根にたどり着いて初めてやっとここまで来たなという実感を得られるもので、そこまでがきつい。でもその前に、仮に10メートルくらいしか登坂していなくても、見える景色は違うということを深く実感するようになった。ゴールまでのことをもっと考えていたときには、山頂までの道程からすれば10メートルなど微々たるものなので、なかなか気づかなかったのだろう。でも、日常生活の中で言えば、ビルやマンションの3階と10階とでは景色が全然違うものだ。山でも、5分歩けば見える景色は相当違っていて、ああ、自分は確実に登っているんだなと実感することができる。ストイックは嫌いなので、その後山登りなどしたくはないが、その経験は今も自分の中で確実に生きている。 

 これとは逆に、やるべきことがいくつかあって、期限も決まっているときには、やりやすいものから先に始めることはしないこともある。僕の場合、優先の付け方が違っていて、必ずしも重要なことから始めるわけではない。これを後に残しておくと苦しくなるなと思うものを先にする。以前は、そういうものこそ後回しにしていた。それは一般的なことでほとんどの人もそうやってしまうだろうが、僕の場合はある頃から変わったわけである。

 何でかというと、たとえば今月いっぱいまでやらなくていけないことがAとB、2つあるとする。気楽にたやすくできるのはA、Bは苦手な人と交渉しなければならないとか、着手するのにすごく逡巡するものである。こういうときに、Bを残しておくと、その締め切りまでずっと気にしていなくてはならない。「ああ、あれをやらなきゃいけないんだ」と、ずっと頭に引っかかっているわけである。でも、さっさとやってしまえば早く気楽な気分になれる。でも、こんなわかりやすいことがなかなかできないでいた。

 今は、「ああ、そんなことするの嫌だなあ」と思うものほど、思い切ってさっさとやってしまうようにしている。つまり、残しておけばおくほど後が大変だとか、苦しくなると思うものを先にやるという順位のつけかたになった。重要かどうかはまた別問題ね。

「聞くは一時の恥」と似てるかな。早く楽になるにはこれが一番。これも長く仕事をやってきたことからくる教訓というものだな。何十年もかかったけど。誰でも何でもそうだが、頭ではわかっていることでも、実行するのは難しいということだ。

 サッカー、ブラジル戦。向こうの監督はあのドゥンガである。手加減はしないだろうという嫌な予測が当たった。決して100%の力を発揮したわけではないが、守備陣はきっちりやっていた。ほんのちょっとでも判断が遅いと足が伸びてくる。
 日本も専守防衛という感じで、ほぼ全員がデフェンスに回ったが、それでも間隙を突かれる。せめて、現時点でのベストメンバーの戦いを見たかったがね。あのスタメンでブラジルに当てるのはかわいそう。唯一、世界レベルの力を見せたのは岡崎だった。
それから、そろそろ川島は二番手のGKにしたらどうか。もう西川にしたほうがいいでしょ。

 日曜はGⅠ秋華賞か。④ヌーヴォレコルテの1着は堅いだろう。散々考えた末、2着候補筆頭には⑧レッドリヴェールと⑫タガノエトワールの2頭。あとは全部3着候補だ。

菅野所長のエッセイ:賞の行方


2014.10.11

今週も忙しかったな。でも、今日で終わりだ。
強力な台風が来ているので、休みは外出を控え引きこもることにしよう。この10年で4番目にすごいらしいし。各地の被害が心配だ。

 先週の月曜は台風も午前中には去ったので、気力を出して映画を観に行った。クリントイーストウッドの新作「ジャージーボーイズ」。
 観る前は懸念していたが、やはりイーストウッドは上手い! 90%エンターテインメント。こうした映画は初めてのはずだが、さすがの巨匠ぶりである。音楽と言うだけならジャズ映画の「バード」があったけど、あれはほとんど記録映画のようなできあがりだったし。

 音楽映画だが、ミュージカルというのではない。この手のものでは、近年では「バーレスク」が一番よかったが、はるかに越えている。つまり、ハリウッドの音楽映画としては最高だろう。フレッド・アステアあたりのほうが良かったという人もいるかもしれないけどね。

 ハリウッド以外だと、同じく貧しい若者がバンドをやっていくという設定で始まる、アラン・パーカー「コミットメンツ」があり、こちらのほうが映画としては上質と思うが、「ジャージーボーイズ」は最初からエンターテインメントとして作ろうという意図があるからね。比較してもいけない。

 ちょっとウッディ・アレン的な演出が入ったり、ラストは北野武そのものである。しかも、途中には主人公たちが見ているTVドラマが「ローハイド」で、20歳の頃のイーストウッドが出てくるという茶目っ気ぶり。それから、「タモリ倶楽部」好きには大うけな曲も出てくるしね。楽しいことこの上ない。

 何より僕が感心したのは、地元ギャングのボスにクリストファー・ウォーケンを起用したことだ。彼が登場するたびに、何か残酷なことが起きるんではないかという予感がしてくるのだが、まったくそうではない。そういうギャップを見事に演じるのは彼しかなかったと思わせる。ジョン・ボイドじゃダメなわけね、

 アカデミーでも何らかの賞は取るのかなあ。まあ、そんなものでこの映画の価値がはかれるものではないからいいし、すでに作品賞も監督賞も取ってるし。ああ、でも監督賞はぴったりだ。

 賞といえば、ノーベル賞。下馬評では、文学賞に村上春樹、平和賞に憲法9条とか最有力なんて言われてたが、見事にずっこけ。
 まあ、村上春樹にかんしては、僕は昔からまったく評価していないのでどうでもいいのだが、9条のほうは実現したら画期的なことだなと思っていた。この10年くらいで、世界では40種だかの生物が絶滅したという。9条も絶滅危惧種と同じだからな。9条を世界遺産にというのも前からあったけれども、それよりもノーベル賞を取れば絶滅を免れるんじゃないかとも期待したのだが。

 このふたつが落選して誰より胸をなで下ろしたのは安倍政権の面々である。軍拡政策、原発再稼働の天敵だからね。僕はそういう意味では少しがっかりしている。来年以降では時宜を外してしまうしなあ。そういえば、パキスタンのあの少女の平和賞に異論はないが、今なら香港のデモ隊にでも贈ってあげたいものだ。

 

菅野所長のエッセイ:心配するのはいいことだ


2014.10.03

 今週は、一日休みをもらったので幾分楽な気がする。が、それは気分的なもので、ずっと肩から背中にかけての張りと痛みに少し悩まされている。大したものじゃないけど。ひょっとして頸椎の具合からきているのかもしれない。

 というわけで、このところは、朝起きるとマッサージチェアで10分くらいほぐすのが習慣化している。これをやると、少しはやわらぐし、眠気もなくなるのでよい。コーヒーをがぶがぶ飲むだけが能ではないね。

 来週からは、非常勤スタッフとの面接が始まるので、スケジュールがキチキチだからなあ。何しろたくさんいるもんで。次の休みはもっと身体を休めないといけない。でも、映画をひとつ観たいんだよね。クリントイーストウッドの新作だ。でも、どうなのか。「グラントリノ」「ヒヤアフター」と比べてどうなのか。観る前から心配している。

 何だかんだ言ってるうちにもう10月だ。でも、今年は今のところ長い感じだ。忙しいからだろうなあ。苦しい時間は長く感じるものだし。月末にゴルフの予定があるのでそれを楽しみに仕事がんばろうか。本の執筆は順調と言えば順調なのだが、先が長い。まだ10分の1程度。マラソンなら5キロ行ったくらい。20キロ地点くらいまで行かないと先が見えない。身体がきついと弱気になるもんだ。

 日曜は宝塚記念以来のGⅠレース、スプリンターズステークスがある。これも何だかなあ。このところ競馬がダメなだけでなく、いつもの中山でなくて今年は新潟開催だからだ。スプリンターズステークスという感じがしない。人気がなさそうだったので絶対に狙おうと思ってたリトルゲルダが出走しないのもなあ。
 で、これはもうしかたないから、一番人気であろう⑮ハクサンムーンを中心視。相手は牝馬3頭。②ローブディサージュ⑨ストレイトガール⑬レッドオーヴァル。次点が、④ガルボ⑥コパノリチャード⑭グランプリボス③トウホーアマポーラ⑲マヤノリュウジンか。ほら、迷いがあるから点数が多くなっちゃう。逃げ残り狙いで、ハクサンとコパノの2頭を軸にする手もあるかな。

 ま、それよりも、同日夜に放送される凱旋門賞のほうだよね、重要なのは。2年続けてオルフェーブルが完璧なレースをしてそれでも負けた。
 今年は、レーティング世界一のジャスタウェイが出るが、体型から2400mは向いてないだろう。ゴールドシップが勝ちきるとも思えないし、斤量には恵まれるハープスターもやはり2400mはどうなんだと。うーむ、過度な期待は禁物だが、それでも一番期待できるのはジャスタウェイだな。距離さえ克服すれば。そうだ、急遽名前を「イチノジョウ」に変更すればいいんじゃないか?

 それにしても、何だか心配事ばかりの週末だ。

 御嶽山の噴火だが、噴火予知連の会見は、噴火ものじゃなかった、噴飯ものだな。そもそもそんなにきっちりとした組織でもなく気象庁のための参考人の集まりみたいなもののようだ。今回のは、素人判断からしても予兆があったように思うのだが、あるレベルまで達していなかったと言うし、水蒸気噴火は予知が困難だと言う。
 そう言われると素人としては呑みこむしかないところもあるが、噴火するかどうかわからないけど、気をつけてください、できれば登山はやめといたほうがいいですよというくらいはできなかったのか? そこが不思議でならない。そんなもの外れたなら外れたでしかたないよね。登れなかった人にはまたの機会もあるんだし。

 つまり、ひとつにはリスクマネジメントの感覚がないのだろう。リスクマネジメントの原則はつねに最悪の事態を避けることにある。そのためには、無駄なこともたくさん出てきたりする。でも、一生事故を起こさず、事故にも遭わなかった人が「保険なんか無駄だった」とは思わんよ。
 だから、外れたら「今回は外れまして、ご迷惑をおかけしました」と普通に言えばいいんだよね。でも、そういうことをする感覚、社会性がない人たちだから困る。三宅島のときには、もう危険はありませんから帰島して大丈夫ですと言って、島民が戻ってから噴火が起きた。そのときの噴火予知連の会見は、薄ら笑いさえ浮かべていて、今回よりもっと噴飯ものだったが。

 僕が思うに、彼らは自分たちの予想が外れることを何より怖れているのだろう。それは噴火予知連の連中は、ただの火山の研究者であって、それを一般社会、人々に結びつけてはいないからではないか。こんな組織を使っている本体の気象庁も責任は大きい。政府御用達の原子力ムラと同じだな。謝罪させる道具にし、隠れ蓑としているかのようだ。
 そもそも日本に噴火の可能性のある山は110しかない。これらの危険度はわかっていることだし、きちんとやっていれば防げるものはほとんど防げるのではないかと思うのである。もっと心配しろよと言いたい。こういった研究者の自宅をみんな火山の近くに据えたらどうか? そのほうが研究もはかどるでしょ。原子力規制委員会の連中も同じだ。新潟県知事が、原発を再稼働するなら、その敷地内に東電社長の自宅をおけと言ったが、気持ちがよくわかる。

 

菅野所長のエッセイ:「どっちもカスや」


2014.09.26

 先週末は、毎年恒例の仕事で関西に行ったのだが、例年になく涼しかった。いつも猛暑のような感じだったのにね。今年の天気はちょっと違う。もう完全に秋という感じだが、10年前はこれが普通だったような気がする。

 朝ワイドショー見ると、毎度毎度バカらしいことを特集する。そんな中で、運動会で子どもが1等になった写真をSNSに載せたら、ある母親に怒鳴り込まれたというのがあった。その母親の子はビリだったのだが、それも写真に写っていると、うちの子どもがかわいそうだと思わないのかと。で、びっくりしましたという話である。

 番組の方向としては、そんなことで怒鳴り込んでくるとんでもない母親、いわゆるモンスター的な母親に焦点を当てようとする雰囲気なのだが、コメンターの吉本の小藪千豊が一刀両断、「どっちの親もカスや」と。これはまことに正しい。

「そんなことで」怒り狂う親がどうかしているのは当然だが、「そんなことで」と思うのは、わが子がビリじゃないからである。どんな親でもわが子がビリになって「わーい、ビリだあ、よかったなあ」と喜びはしない。程度の差こそあれ、がっかりするだろう。それがどこかのブログに載せられているのを見たら、程度の差こそあれ、嫌な気持ちになるのではないか。もちろん、文句を言うか言わないかは別のことだが。
 たかが運動会という人もいると思うが、たとえば、わが子が勉強で一番になったので、その成績表を写真でアップさせ、そこにビリの子の名前まで写っていたらどうか? 運動会ならよくて成績の場合はいけないとするならば、その根拠は何なのか?

 つまり、一見被害者と思われる母親にも気遣いというものがないのは明らかだ。だから小藪は「どっちもカスや」と切るわけである。

 これは「ママ友トラブル」という特集なのだが、結局、全体的にコミュニケーション力の不足、対人関係で鍛えられていないことからくるのだろうなと推察できる。でも実は、だれでもこうしたトラブルを通して、それまでできなかった人への気遣い、対人関係の想像力をを身につけていくものなのだ。僕だってそうなのである。

 このケースの場合、怒鳴り込まれたほうが、自分の一方的な被害者だという認識を疑い、自分にも落ち度があったと理解することができたならば、今後はもっといい人間関係を築くことができるようになるかもしれない。そういう意味では、この人のほうが得をしていると言うべきだろう。

 一方、怒鳴り込んだほうはあまり救いようがない。「子どもがかわいそうでしょ」と言っているが、本当は自分が惨めだということはあまりに明らかである。子どもためではなく、自分のために起こした行動である。こういう人は、そのことに気づかない。つまり、自分を客観的に見る力とか内省する力がまるでないわけね。こういう親に育てられるのは、それこそ子どもがかわいそうだな。

 ま、バカバカしいことばかりが起きている世の中だが、こういう身近でちっぽけなことを取ってみても、他のいろんな出来事と通じていることがわかる。

 それにしても、以前ならば、中学生か高校生くらいの年代で学習されたことが、今はこの辺のステージになっているのかな。

 

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