大丈夫っちゃ大丈夫だけど


2017.03.23

明日から30年来続くゴルフがあるので、今日アップします。亡くなった高良さんも初回からのメンバーだったのだ。

午前中に国会の証人喚問を少し見て、その後どうなったのかはよく知らないが、予想よりも緊迫したものになっているのではないだろうか。認可申請を取り下げたときには、これは政府側との何らかの裏取引があったからではないかと思っていたのだが、それはどうも違っていて、籠池理事長は自民党と差し違えるために乗り込んだようである。高をくくって喚問に応じた自民だが、証拠こそないものの、想定以上にリアルな話内容である。自民からすればこの喚問は、首相を守るという最重要の目的があり、そのために籠池理事長の虚偽性を暴こうとするわけだが、証拠がないと言うだけでは疑惑は拭えないなあと国民は思うことだろう。その後の展開を見ていないので何とも言えんが。

何しろ、そもそも彼は安倍首相の大ファンだもんね。戦前右翼思想共有してくれる数少ない有力政治家。岸の孫。安倍首相記念小学校という名称で寄付金を集めたことが取り沙汰されたが、それは第一次安倍内閣が崩壊した後のことで、思い返せば、当時これで安倍の政治生命は絶たれたと思ったものだった。つまりそんな状況で安倍の名を冠するのはけっこうなリスクもあったはずだが、大ファンである彼はそういうことを気にしなかったんだろうね。
いろいろと頭を使って画策したいんだろうが、あまり頭が良くないからそれができない、そういう人である。よく言えば純粋、ニュートラルにいえば単純。だから、保身に長ける政治家にはいいようにされてしまう。
でも、この問題を通して、稲田、鴻池、松井といった(安倍夫妻は留保しておくが)、政治家のずるがしこさというものが浮き彫りにされたのは収穫ではないだろうか。意外なことだが、今はちょっと彼に同情してしまう自分がいるな。

さて、今週はとにかく不眠が続く。月曜に高良家にお邪魔して故人の遺品を譲り受けたのだが、早めにお暇するつもりが、一時間以上奥さんと話をした。すると、いろいろなことが思い出がわいてきてしまって眠れなくなった。たぶん彼女もそかもしれないと心配になる。奥さんにその後大丈夫かと聞いたとき、「大丈夫っちゃ大丈夫」という返事だった。こういう言い方は、原点はハマ言葉かなあ、奥さんは横浜あたりの出身だし。僕も子どもの頃からこういう言い方をしてた。ちなみに東京や神奈川では、語尾に「じゃん」をつけることが多く、関西あたりの人には気持ち悪いだろうが、これが代表的なハマ言葉。まあ、神奈川の方言だね。

で、このニュアンスはものすごくよくわかった。僕もそうだから。大丈夫と言えば大丈夫だが、ダメと言えばダメなんだよね。
その前の晩も、明日行くということで全然眠れずだったし、不眠は水曜まで続いた。日曜から水曜まで、合計でたぶん6,7時間しか眠れてない。眠れないからベッドから抜け出し、ソファでケーブル見たり、DVD見たりで、明け方ウトウトするくらいだ。ソファなので朝は身体が痛いし。

昨日は電話カウンセリング部門の懇親会が9時からあって、そういう席では焼酎をロックでどんどん飲むので、帰りの終電では、ふと目を開けたときに練馬の駅で、ベルが鳴っていた。あわてておりて、埼玉まで連れて行かれずにすんだのは幸いだった。そして、時間は十分ではないが夜も久しぶりにまあ眠れた。今夜は、長崎から児島氏、京都から吉川氏がくるので、3人でお線香をあげに僕が高良家に案内することになっている。彼らは葬儀には来れなかったのでね。
前夜も今夜もそうだが、明日からも飲み会がある。酒さえガンガン飲めば眠れることは眠れるんだけど、しばらくはそれでしようがないなあ。

菅野所長のエッセイ:ハッピーコラム


2017.03.18

先々週、「この世界の片隅に」を推奨したらすぐに日本アカデミー賞、先週カズ様のことを書いたら、翌日には50歳での記録的な決勝ゴール。何だかねえ、これは予言?
ひょっとして競馬の予想を書けばズバリと当たるんじゃないかと思ったが、そういう我欲はいけないと思い直した。でも、何かよいことが起きているのは確かだから、とりあえず、TCCのスタッフとセンターに来てくれる方々に良いことがありますように祈っておこう。

しかし、同じように2週続けて日曜が休みではなかったので、なかなか疲れが取れない。先週の日曜も仕事で早い時間から銀座に来ていたもんで。昨日は健診だったが、視力が落ちたのと血圧が高いのが目立った。あとはいつもの通りによくない。体重は、去年よりも5,5キロ落ちてたな。まあ、今度の日月はまあのんびりできそうなので少し安心である。

3月11日は東北の震災から6年経つ日だったが、ここで取り上げる余裕がなかった。深刻なのはあいかわらず原発で、廃炉のメドはまったく立ってなく、今後お金もいくらかかるか分からない。また日本原子力機構では、核の廃棄物を何十年もためるだけため込んだまま放置しており、処理するにもまったく見通しがない。すべては、国策によって喧伝された安全神話と、何らのリスクマネージメントもなされていなかったことからくるものだ。

そんな中、先日WWFジャパン(世界自然保護基金 プロレス団体ではない)がエネルギーについての試算を発表した。太陽光、風力を使ったエネルギーにすれば、2040年までの間にどれだけ節約になるかというと、約84兆円ということである。

もちろんこの数字を完全に鵜呑みにすることはできないだろうが、原発がすべて止まってもとくに困らなかった事実をみれば、どこぞの原発を再稼働することに躍起になることが国益になるとは当然思えない。原発は安全で安上がりだと、国はウソをついてきたが、事故は多いし、原発はひじょうに高くつくのである。つくることにしても、それで東芝はアメリカで致命傷を負った。また原発大国と言われるフランスでも稼働しているのは3割くらいだと聞く。

首相はいつも「経済最優先」を主張するが、その策はいつもギャンブルめいたものであり、何より経済が重要ならWWFの見解を受け入れるべきだと思うのだが、どんな意図があるのか見向きもしていない様子である。森友問題などはどう考えても政府筋がこれを推進したフシがあり、こんなことに力を注いでいる場合ではないのだ。もっとまともな国にしようぜ。

簡単なことだ。原発を停止し、火力などでまかなう間に、太陽光と風力の施設を創る。今から10年後には自然エネルギーでの電力確保が可能になるのではないか。その間足りなければ、他の国から電力を買うのもいい。実際ドイツは他国から電気を買ってまかなっている国である。

来週の23日は、WBCの決勝と証人喚問らしい。ま、WBCは、日本が強くないぶん接戦になった。田中、ダルビッシュ、大谷がいればどことやっても楽勝だろうに。しかし、大谷は出場しなくてよかった。周囲から「小久保につぶされる」というアドバイスがあったのだろう。その可能性は大ありだったので大正解だ。
加えて、都で百条委員会はあるしで、面白いといえば面白い。それにしても、石原慎太郎は「脳梗塞で海馬がやられた」と言い、首相夫人は「寄付してない」とは断ぜずに「記憶がない」と言う。ロッキードの「記憶にございません」以来、こればっかりだ。追求側の質問力が問われるな。

まあしかし何だな、あれから自分もだいぶ元気にはなったなあ。ダメダメだった間、気をつかってくれたスタッフのおかげだとつくづく思う。今週は、歓送迎会があったが、辞めていくバイトの人たちにも感謝だ。この春からは社会人になる。加えて、4月からは以前バイトをしていた子がTCCで働いてくれることにもなっている。放流した鮭の稚魚が戻ってくれるようでとても喜ばしい。そういう稚魚たちが戻ってくる、そんな職場であることを誇りに思うが、それもみなスタッフの尽力のおかげと感謝しなければならない。いつもありがとう。この連休いいことがありますように。 僕も競馬が当たりますように。

菅野所長のエッセイ:人はなぜ彼をキングと呼ぶのか


2017.03.11

 

先週末は長崎に行ったわけだが、往きの飛行機がなんとあの、キング・カズこと三浦知良(横浜FC)と一緒だった。 羽田に着いたあたりから、黒いジャージ姿の人たちが目に付き、搭乗口に近づくほどそれが増え、人数やその体躯などからこれは遊びのサッカーチームじゃないなとは分かったのだが、見たところジャージーにチーム名はなくて、どこなのか分からない。総勢は30人くらいか。長崎といえば、相手はVファーレン長崎だからJ2のチームだとは思った。しかし、それでもまだどこなのかわからない。半分以上の選手はマスクをしてるしね。

で、僕の席がJALのクラスJで前から2列目。その前に座ったのがどうもチームのオーナーか監督らしく(同じチームジャージーを着てたからたぶん監督)、後から入ってくる選手たちがそれに気づき、次々に「ウース」とか挨拶する。
あっ、これは横浜FCだと分かったのは、多くの選手の中でたった一人、その監督に挨拶するときにマスクを外したのが、誰あろう、キング・カズだったからである。カズはマスクを外し、ニコッと笑って挨拶。他の選手の無愛想な「ウース」とはまったく違った。 昔スタンドから観たことは何回かあるが、すぐ近くで観ると思ったよりも顔は小さくて、全体もごつくない。その笑顔はものすごく爽やか。とにかくかっこいい!の一言である。以前、東北新幹線で斜め前の席に中田ヒデを観たときとはまったく正反対の印象だ。

で、驚くべきは、感動した僕がカズの後を目を追うと、すっと奥の方に進んでいくので、他の選手と同じ普通席に座ったであろうということだ。これがすごいことだな。日本サッカー、Jリーグの立役者、キングと呼ばれ、50歳になり、海外でも注目される男が普通席。一方、僕はクラスJ。1000円違いとはいえ、座り心地が全然違うんだ、これが。
もう僕なんか、貨物と一緒でも、その辺の床に縛られ転がされてもいいから、この席をお譲りしたいと思うわけである。そんな、ひじょうに申し訳ないことをしているという気分になった。カズ様と比べたら、僕なんかゴミ虫みたいなものなのに。

これはきっと罰が当たると、乗る前に買っていた馬券も外れるのではないかと思ってしまうのもしかたない。飛行中は圏外になるのでわからず、空港に着いて分かったが、ふたつの重賞ともに当たり!堅めの決着ではあったがね。でも、罰どころか、カズが福音をもたらしたとしか思えない。ありがたやありがたやと、僕は市街へ向かったのである。

さて退職記念パーティでは祝辞を頼まれたわけだが、初めて奥様とお会いし、抑えめのバージョンでいじることにした。とは言え、それも想定内。祝辞は狙い通りの大爆笑、バカ受けの連続で、自分の経験でもなかなかないほどだった。でも、カズ様のことを言い忘れてしまったのが、手落ちだったのかもしれない。
2次会の居酒屋で、席に着こうとしたときに、暗くて段差があることに気づかず、思い切り転倒する。酔っぱらってんだよね、つまりは。これはやばいと思ったが、ちょうど上半身が座布団の上に倒れたので大丈夫な様子。頭も打ってない。しかし、左足首を捻挫である。これでは明日のゴルフは?と大心配も、足を引きづりながらプレイ。そういうことがあったせいか、日曜は馬券を買うのを忘れたが、結果を見ると予想と外れていたので却ってよかった。捻挫のほうも、これで1週間経つけど、だいたい大丈夫だね。

すべてはカズ様のおかげなのであろう。ああいう立派な人に比べ、森友学園絡みの首相夫妻、鴻池、稲田とか、ほんとはあそこの時代錯誤教育を絶賛してたくせに、関係ないと言い逃れる姿は醜いを通り越しているな。どこも同じだ、高潔な人物であるほど地位は上がらない。もっとも、ただの選手として、あるいは、普通の人として、そして市井の人として生きるほうがいいと思っているからでもあろうが。 市井の人といえば、先週取り上げた「この世界の片隅で」が、その夜に日本アカデミー賞を取ったね。「君の名は」を押さえて。まあ当然の結果と思うのだが。と、推奨した手前、ちょっと自慢げだな。このへんが高潔にはなかなか近づけない僕なのであった。

菅野所長のエッセイ:片隅で生きる


2017.03.03

今週は今日でお終い。明日からは長崎で友人児島さんの退官記念行事に参加しなければならない。彼が以前東京にいた頃、僕と高良さんと3人でよく飲み語らったものだった。

で、今週連絡があり、そこでもまたスピーチを頼まれてしまった。今回のは祝辞に近いものになるわけだが、こんなにも短期間に弔辞と祝辞をするなどとは夢にも思わなかった。先日のひどい体調不良のこともあるし、遠出するのは少し不安でもある。

1週間は何とか乗り切れるようになった感じがするが、ここまでのところでは、日曜になると具合が悪くなる。たぶん土曜日までで気力が尽きているのだろう。先週の土曜などは、夜、職場で一人になったとき、今まで味わったことのない寂寥感に襲われてじぶんでもどうしていいのかわからなかった。

とはいえ、眠るほうは大丈夫にもなったし、来週には、疲れはあるだろうが、より元気を取り戻しているように思う。

自分がこんな状態であるときにも、世の中ではいろんなことが起きていて、やはりいろんなことを考えてもしまうが、今日は映画の話をしようかなあ。アカデミー賞でとんでもない凡ミスがあったらしいが、そのシーンは見逃している。まあ、でも何が受賞しようがどうでもいい感じだ。今年になって「グラントリノ」を2回観たが、この10年でこの映画以上のものはないなと、何回観てもそう思う。

先日は、ちょっと元気があったので「この世界の片隅で」を見に行った。アニメと言えばジブリものが相場で、近年は新海誠だが、これはそういったテーストとはまったく異なるものだ。
結論的には、今まで感じたことのない不思議な映画というのが僕の結論である。映画が終わって、駐車場に歩いていく途中なのだが、ふと先のほうに主人公のすずが風呂敷包みを抱えながらとぼとぼと歩いているような、そんな錯覚に陥ったのである。もちろんいるわけもないのだが、もしやと思って後ろを振り返る。もちろん、そこにもいるはずもない。
でも、いるような気がするのである。

こうした錯覚に陥るということは、この映画が、市井の、そして当たり前の人物たちを当たり前に描くことに成功しているからであろう。監督もそれを大事にしていて、戦争の悲惨とか原爆の恐怖とか、そういうものも大げさに表現しない。ただひたすら、あの時代を生きた平凡な一人の女と、これまた平凡な、その周辺の人たちを淡々と描くのみである。地味と言えばその極地。しかし、だから退屈するとかはまったくない。この監督の力量は相当なものだし、後で知ったが、主人公すずの吹き替えがあの能年怜奈(いまは、”のん”と改名している)で、これが実にうまかったことも大きい。

絵画でいえば、ダリとかエルンスト、カンデンスキーといったいかにも不思議な表現をする画家がいる一方で、マグリットのように何でもないような絵がたとえようのない不思議を醸し出す人もいる。この比較からいえば「この世界の-」はマグリットのほうではないかと僕は思う。

アニメの話題と言えば「君の名は」だけど、新海監督のこれまでの作品から、思春期のいじましさが描かれるだけであって、そういうのが嫌いな僕はものすごく不快になる。こじらせ気味の中高校生にはいいんだろうがね。でも大人の映画を観たい者にとってはどうなの? アジアではうけるんだろうけど、ヨーロッパやアメリカではダメでしょ。 よく知らないけど。

菅野所長のエッセイ:「いま」に追いつくこと


2017.02.24

先週はこのコラムを休んでしまった。忘れたわけではなくて、身体の具合が悪くて週を全休してしまったからである。先週の土曜は休日だったが仕事で、その後に飲み会で力尽きたのかもしれない。1次会で帰ったんだけどね。

日曜からどうも身体の調子が悪くなり、月曜には本格化、熱が出て体中がものすごく痛くなった。以前からもこういうことは時々あったけど、ここまで痛いのは初めてだった。痛くて痛くて寝るのもままならない。やぶれかぶれで安定剤を2錠飲んでみると少し痛みがやわらぐことがわかった。風邪薬とか鎮痛剤とかはまったく効かないのにねえ。

で、金曜の朝あたりには仕事に行けなくはないなと思ったが、もしもこれがインフルだったら職場の人に移してしまう可能性もあるので、結局全休となった。こんなに休んだのは生まれて初めてである。

とにかく、正月明けから心も体もどうにもならない日々が続き、多くの人に多大な迷惑をかけてしまったのが申し訳ない。今週もきつかったが、今日あたりはだいぶいい感じに戻っている気がするので、今後は大丈夫な感じがする。先週あんな状態になったことで、自分の意志とは無関係に眠れるようにもなった。ただ、帰りの電車では背中がすごく痛くなる。

こんなことがあったり、あんなことがあったりしながら徐々に普通の生活になっていくものなのだろう。来週末には、友人の児島氏の退官記念があるので長崎に行くが、そこでまた、九州や関西の人たちと高良さんのことを語らったりするうちに、自分のダメージも次の段階に移行していくのだと思う。

今でも毎日毎日彼のことを想い、淋しくなったり虚しくなったりするけれども、時が経つごとに忘れる時間が増えていくのだろう。もうすでにあまり泣くことはなくなった。自分については「いま、ここ」に追いつきつつあるようだ。

菅野所長のエッセイ:梅の季節


2017.02.10

今日の朝、仕事に行く準備をしているときにふと身体の中が空っぽな感じがした。あまり経験したことのない感覚だった。あれから少しは時間が経ち、いろんなことが終わってきたことから来るものなのか、どうにもよくわからない。

火曜日と水曜日、通夜と告別式があって、それは確かに終わった。弔辞というものは、やはりまともに読むというのは不可能だなと思った。そもそも「弔辞」と宣誓した直後に、もう声が出てこない。時間にしたらどれくらいだったのか? 10秒か15秒くらいと思えるが、どうした? ちゃんと読まなきゃダメだろと焦るが、声が出なかった。
でもこのとき、これはまともに読むのは無理なんだという考えがすっと頭をよぎり、まともに読めなくてもしかたないという気持ちになり、少し楽になった。そこからは、詰まり詰まり、途切れ途切れではあるが、何とか最後まで読むことができた。

その後出棺があり、火葬にはご親族にお供させていただき、戻って食事と少しの酒をいただき、帰ったのは4時くらいだったか。これで一区切りというのかなと思ったが、その夜もやはり眠れなかった。この不眠についても、弔辞と同じで眠れなくてもしかたないんだと思うようになった。昨日も2時間くらいしか寝てないが。

身体の真ん中が空っぽになった感覚というのは、たぶんそこに高良さんがいたのかなあととか考える。そのうち慣れてくるのかもしれない。

ひとつ残念だったのは、最後に彼と会った後に、それでも何かできることはないかと思った僕は、もうすぐ開花する予定の梅の小鉢を注文したのだが、届いたのは彼の死後だったことだ。その梅が咲くまでがんばって欲しいと思い、もしもそれを彼が見ることができたら、次は桜の鉢を届けようと思っていたのだけど。見れば、梅が満開の季節となっている。

 

あと、今回のことを通して、自分のあずかり知らぬところでも人に支えられているのだなあということを痛感した。自分の悲しみとか苦しみばかりに心を奪われていて、そういうことに気づけなかった。それも情けない。自分の小ささばかりが実感される。
この1ヶ月はみなに迷惑をかけてばかりだった。職場のスタッフ、クライエントの方々に深くお詫び申し上げたい。今後はちゃんと仕事ができるようにがんばります。さっそく明日は休日だけど仕事がある。

菅野所長のエッセイ:悲報


2017.02.04

今日は手短に。

実は今週の初めに僕の大切な友人が亡くなった。正月明けに電話でもう永くないと聞かされて以来、とてもつらい日々だった。訃報を聞くと更につらい。いくら泣いても枯れない泪があるのだと知った。自分の身体の一部がもがれたような気持ちである。

来週の告別式では弔辞を読むことになっていて、その原稿を書かなければいけないのだが、一字一句、一行のたびに泣いてしまってどうにも書けない。でも何とかしないと。

というわけで、今日はこれで。

何とかしなくちゃ


2017.01.27

先週は、週末に調子が悪くなってしまったので、アップできませんでした。伏してお詫び申し上げます。とは言っても、別に大した影響力はもないのだろうが。まあ、ごく少数、楽しみにしている奇特な人もいるようだ。

先週は、木曜日の朝、睡眠時間は足りていたにもかかわらず、身体が動かなかった。で、休むことにしたが、次の日も同じ感じでまた休んだ。その日の午後になぜかかなり調子が戻ったのだが、休むことになっていたので無理をせず。土曜日は行こうと思ったが、面接予定がないということでお休みくださいと言われ、それに甘えた。で、コラムは書けずである。
結局、風邪なのかどうかもよくわからない。でも、ああいうふうに身体が言うこと聞かない状態は確かによくないので、やっぱり大事を取ってよかったとは思うのだがね。で、今週だが、何とか金曜までは運んだな。あしたは大事な用ができたので銀座には来られないので今日中にこれを書かかねば、とまあ、こういう経緯である。
今の僕は当面調子の上がりようはないのだが、でも休むことのないように何とかやっていきたいと思う。たぶん来週くらいはもう少し上がってくるだろう。

休んでる間もそうだったが、気を紛らわすためにケーブルで映画だのドラマだのアニメなどは呆けるように観ている。どれもあまり面白くはないが、まあその間は何も考えなくていいのでそうするという、ほとんど無気力な引きこもり状態である。

今週はちょっと気になっていたDVDを注文した。「孤高の白鳥 ロパートキナ」。ロシアのバレエダンサーのドキュメント。少し前にBSで観て、その踊りに打ち震えたのだった。衝撃を受けたとかの言葉も生ぬるいね、あれは。もともとさほどバレエを観るほうではないが、人間があそこまでできるものかという畏敬は昔から持っていたなあ。今回はそれを本格的に鑑賞しようと思ったわけである。

要は、ちゃんとしたものを観たいんだな。何でも偽物ばかりだし。

アカデミー賞で、「LA LA LAND」が14の賞候補に挙がっていると聞いたが、これまでの最多タイだと。ひとつは「タイタニック」。ああ、なるほどね。つまんない映画だけどね、話題にはなったよね。もうひとつが1950年までさかのぼる「イブのすべて」だということだ。これは、昔観たこともあるが面白かったよね。二重人格の話。原作「私の中の他人」ともに面白い。仕事柄だが。

日本では、「君の名は」の陰でアニメ「この世界の片隅で」が静かにヒットしているらしい。原爆が落ちた当時の広島での話。地味な話らしいけど。でも、「君の名は」には惹かれないが、こっちはそのうち行けたらなと思っている。

こうしてみると先週よりは気分がいいみたいだ。眠るときが少し不安なのだが、まあ徐々によくなっていくだろう。

菅野所長のエッセイ:今週はちょっと・・・


2017.01.14

もう何もしたくない気分だが、何かをしていないともっとつらい。そういうときがある。いちばん危険なのは眠る前だ。何もすることがないので考えてしまう。それで眠れない。今週はそうやって始まった。水曜あたりからだいぶ平常に戻ったが、帰宅時のあまりの寒さに身体が冷え、風邪っぽくなってしまった。早々に薬を飲んでおさまっている感があるが、週末には33年ぶりの寒波が襲ってくるというから厳重警戒しておかないとな。

金曜は、朝起きたときには土曜日と勘違いしていて、すぐに気づいたけれども一日損をしたような気分になった。それだけ今週は長く感じているのだな。原稿のリライトはもう終わってしまったので、当面やることはないなあ。何かしていないと空虚だ。でも土曜もやっと終わったのでホッとした。

あまりものを考えたりまとめたりができない感じなので今日はこれで失礼。来週はもっと気持ちを上げないといけないが。

菅野所長のエッセイ:年明け、珍しくまじめに思うこと


2017.01.06

あけましておめでとうございます。

仕事が始まってからはそうでもないが、今年、東京の正月は温かだった。からだがひじょうに楽。ほとんど暖房しなくても平気だったものな。基本、僕の住まいは冬はとても寒いのだが。

年末年始はほんとに何もせず過ごしたなあ。やっぱりお雑煮が食べたくなるので、それをつくるくらいで。まあ、天気も合わせて穏やかといえば穏やかな正月だったが、こんなに温暖ならゴルフにでも行っていればよかったと思わないではなかった。

今週はキャンセルが相次ぎ、あまりやることがなかったが、今日は去年の5月にやった講演録が今頃になって送られてきて、今月中にこれをリライトしなければならない。なかなか厳しい注文ではあるが、正月明けなら何とかなるでしょ。

それで思い出したが、正月にケーブルで「地味にすごい 校閲ガール」というドラマを一気に観た。石原さとみ主演のコメディドラマなのだが、出版世界の中でも校閲部を取り上げたところいい。ていうか、誰かの原作があるようだがね。
映画「船を編む」とかも、編集ではあるが広辞苑のような辞書ということで、こうした地味な仕事に光を当てることには好感が持てる。僕は基本書く側なのだが、これまで雑誌の編集とか、原稿のリライトなども嫌というほどやっているので、そうした苦労がわからないではない。

日頃当たり前だと思っていることでも、どこかの誰かが裏で地味にそれを支えているという、これまた当たり前な事実も、われわれはついつい忘れているし、みなが脚光を浴びたいと思う中で、そうした仕事に価値と喜びを見い出すことは尊いことだと思う。僕は若いときにほぼ肉体労働しかしていなかったが、おもにその苦労のほうだけしかわからなかったのは少し残念なことだった。しかし、どんな仕事にも価値があり、手を抜かず、それをまっとうすることが大切だということはかなり理解できたようで、いろんな役割や裏方のことも好んでやるようになったな。もともとかもしれないけど。

昔、TCCを立ち上げて数年、赤字続きでこの先どうなってしまうのか、ひじょうに不安になったことがある。いろいろ考えた結果、いざとなったら自己破産をして、当面は屋台のラーメン屋でもやってみようかと思った。まあ、杞憂だったけど。そもそも、この仕事に就く前も、とりあえずトラックの運転手になろうと思ったのだが、それも未遂だ。仕事に就いてからも、赤貧だったときには、瀬戸内海あたりに行って漁師になろうかと考えたときもあったな。これも35歳になってやっと食えるようになったので未遂と。

結局、僕の中には「いざとなったら」というのがずっとあって、それは決して冗談ではなく、それが自分を支えている部分ではあるのだ。やりたくもない所長なんかになってしまったので、今はさすがにそれがなくなったねえ。この辺が近年の不調の遠因なんだろうか。というわけで、今年はなんかこれまでと違うことをしようかなと少し考える年明けなのであった。

そういえば、忘年会のときに非常勤カウンセラーの有志から、僕への感謝ということで大量のタバコとひじょうに優れもののライターをプレゼントされた。これはとてもありがたく、嬉しかったなあ。この場を借りて御礼申し上げたい。これからも勉強会の後にはみんなで飲みに行こうぜ。

5日、競馬では東西で金杯というのがあり、これはどちらも当てたが、安めもいいところに来る。ついでに久しぶりにWIN5も当てたが、2万5千円しかつかないという体たらく。まあ、外れるよりはいいということで、今のところ、中くらいなりおらが冬といったところか。

ということで、今年もTCCをよろしく。

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