試されるとき


2020.03.26

オリンピックの延期決定ということで、まずはよかった。
まあ、当たり前のことだけどね。すでに、辞退するという国がいくつかあって、1ヶ月後を待っていたら、大半がそうなっていただろうし。つまりはオリンピックどころではないわけよ。そもそも、このまま収束したとしても、柔道、レスリング、ボクシングなどの「濃厚接触」の競技なんかに出場する選手はいないだろうに。
ちなみに僕は「中止」のほうがいいと思っている。各国の状況を見ていると、まだ始まりの段階だもの。これ以上傷を広げるリスクは冒さないほうがいいと思うのだがね。ただし、来年またオリンピックをやるということが、これからの艱難と戦う国民の支えになるのであればまた違うのだが。
さて、当初の評価から一変、日本の感染者数の少なさに世界が注目している。大きな理由は検査数が少ないことにあるが、対人的な距離を取ることやきれい好きな民族性が発揮されたこともあろうし、島国という利点もあろう。歴史上疫病は世界を悩ませてきたが、鎖国を何百年も続けたこともある島国ニッポンは強い。だから台湾も有利。いま感染の中心はヨーロッパとなっているのもうなづけるところだ。
しかしながら、島国だからこそ、ダイヤモンドプリンセス号のように爆発的な感染が起こるととんでもないことになる可能性はあるわけで、さらなる警戒が必要である。ということで、都知事が今後3週間を危険期間と定め、なおかつ会見で不要不急の外出を自粛要請は正しい。日本中で東京が一番やばいに決まってるし。3週間でも不足かも。
そんな中、K-1が埼玉アリーナで開催されたり、「ホリエモン祭り」とかが行われたりとかあって、これはもうテロ行為に等しい。ほとんどの国民ががんばっているのに、こういう少数の能天気者のせいでぶちこわしになるのだ。会社の不正と一緒だね。やっているのは一部の人間で、大半はマジメに働いている。いまの政権よりも危機意識が薄いというのは相当なものだな。
僕のほうもウィルス禍の影響はある。2月、3月と講演の仕事とか中止になったり、学会もそうだな。去年さぼった健康診断に行く予定も、病院は危険と見て取りやめた。
2月の時点で、もっとも危険な場所は病院だと思っていた。イタリアのデータでは、コロナによる死亡者のほとんどが80代の老人ということである。ということは、ほとんどが入院者か通院者であろうと推察できる。老人施設と病院が感染者が集まる確率が最も高いわけなので、わざわざリスクを冒す必要はない。観たい映画もずっとがまんしている。
僕は休みの日にはひたすら引きこもっているので、あまり危険はないかな。そもそも人が、たくさんいるところは好きじゃないし。いまはお花見の季節だが、行った人の話によると、ブルーシートとかは一切ないらしい。そういう静かな中で桜を愛でることができるなら行ってもいいかなと思った。感染の危険よりも、あの騒がしさが嫌いなのだ。で、そういう人間がこういうときには強い。

以前、ポケモンの流行で引きこもりが外出するようになったという皮肉な話があったが、今回は引きこもりこそがもっとも生き抜く力を持っていると言えよう。取り巻く環境や状況次第で強者や弱者というのは入れ替ってしまうのだ。コロナ禍から見えるものは、孤独な人間ほど強く、活動的で社交性の高い人間ほど弱い。マドンナが病の平等性を唱えて猛バッシングを受けているが、まあ言いたいことはわかる。
で今日の本題はここからだが、こんな折りにカラオケボックスで騒ぐとか、ライブに行くとかの行動とは、もちろん感染の危険が大だ。仮に罹ったとして、「それは本人の責任でしょ」とかよく言われるのだが、この場合はいわゆる自己責任が問われる類のことではない。 台風が来てるからそれを見に行って高波にさらわれるのとはわけが違う。そんな場合はバカが一人死ぬだけだが、ウィルスの場合は、自分がキャリアになることでそこから被害者を増大させる可能性がある。だから心せよということだが、そういうことは誰でもわかっているはずだ。しかし。
イタリアで感染爆発が起きてきたときに、イタリアの若者が街頭インタビューで「でも、キスやハグはやめないよ」と言っていた。もちろん冗談半分だろうが、イタリア人気質も明白だ。たぶん彼の思いとしては、そういうことまで我慢したくないということなのだろう。その気持ちはまあわかる。が、ここに見えるのは「公」よりも「私」が上位にあるということだ。イタリアやフランスが感染の中心にあるということは、いわゆる個人主義的な文化、精神性が強い国ほどこのウィルスには勝てないということではないだろうか。そんなことを示唆しているような気がしてならない。だからアメリカも相当危ういだろう。
となると、単に検査数が少ないだけでは説明がつかない日本の現状についても、そこには国民の「公」意識の高さを見ることができると思う。自分のためだけではなく、他者のために、他者とともに支え合うこと、それは社会の根幹を成すものだと僕は思うのだが、いままさにわれわれの共同体性(=「共同態」)が試されているのではないか。
バブル以降、そしてバブルが弾けて以降、あの忌まわしい成果主義が示すように「自分のために」を邁進してきた近年の歴史ではあるが、本来の日本社会の共同態は、この窮地においてどれほどに本領を発揮するのか、都知事が考えるよりもずっとここが正念場だと僕は思うのだった。

さっさとあきらめるべし


2020.03.19

もう無理だよね。オリンピックは。

こういう決断は開催国だからこそ一番に宣言した方がいいんじゃないの。首相や上のほうはまだやりたいようだが、仮に開催したとしても、参加国がいくつあるか。個人レベルでもボイコットする選手が続出するだろうし。昔のモスクワオリンピックよりもひどいものになるだろう。それを考えれば終戦を宣言し、他のことにエネルギーを向けた方が得策だ。
と、多数の普通にものを考えられる人があきらめているんだから、もうギブアップしたほうがいい。べつに恥ずかしいことじゃないし。

そもそも僕自身は東京オリンピック事態に反対だった。僕だけじゃなくて、当時、おおかたの世論もそうだったよね。
こうなってみると、なぜ反対したのかという理由も明らかになるよね。別にこのようなウィルス禍を予見していたわけではないが、何かと難しい問題がいろいろと生じて、国のお金を無駄に使うことになるだろうとは予見できたからだ。オリンピックで経済を立て直すなんてのは夢想に過ぎない。それどころか、負の遺産に苦しめられることは明らかだし。
ここまで金を使った以上、やるしかないと考えるのは、ちょっと前にも言ったが、原発と同じでジャンキー心理なのである。実際やるとなったら、コロナ対策もあって、よりお金がかかることになるだろう。そして、少数参加の、放送価値がなくなったオリンピックに誰が金を払うかの問題。仮にアメリカが不参加なら放映権料はほぼ入らない。もちろんそうなったら、WHOの勧告とは関係なくIOCは中止を決める。

結局、どんなにがんばってもまともなオリンピックはできないのだ。だから、やっても意味がない。何としてもやると言っても意味がない。首相や都知事やJOCがやると言っているのは、オリンピックにあらざるものなのである。

もっとも首相は文春砲のきつい一発から目を背けたいから、コロナやオリンピックについて殊更に言及したいのだろう。何をやっても袋小路に追い込まれている感があるな。そもそも、これまで内閣が持っていたことが不可思議なのだが。
財務省職員の自殺手記。首相は「胸が痛む」と言うが、その胸には剛毛が生えているんだろうな。僕はわりとそうでもないね。やっぱりいくら上からの指示でもやってはいけないのだ。この人も犯罪者であることは、いくら贖罪を願っても変わらない。そう認識しておかないと、この国にかつてなく蔓延する悪徳を駆逐することはできないと思うのだ。

菅野所長のエッセイ:9回目の春


2020.03.13

このところ、ときどき昔のことがフラッシュバックすることがあった。もう45年近くになるか。これまでそんなことはほとんどなかったので不思議に思ったのだが、最近観ていたアメリカのドラマシリーズ「シカゴ・ファイアー」のせいだなと気づいた。

シカゴの消防署を舞台にした話で、一時期の「クリミナルマインド」くらいに面白かったので熱心に観ていたのだ。でも、消防署だから当たり前だが、火災や交通事故が毎回起こる。署員たちは、自分の命を賭けて救援や処置に当たる。それを毎回見せられているうちに知らず知らず過去の体験を掘り起こすことになったのだと思う。

おりしも、3月11日が近づく。自分がそういう状態だったこともあり、急きょお祈りに行くことにした。地元の人の邪魔にならないように、ひっそりと荒井から吹上のあたりを歩いた。かつて観た光景は一変しているが、記憶に残る建物や道々はある。神戸の街はもはや当時の面影はほぼないけれど、こちらは違う。気仙沼や陸前高田、石巻はどうなっているのだろう。コンサートで出会った相馬の人は今も元気で仕事をしているのだろうか。
新型コロナの話題で東北の9年目は忘れ去られた感があるが、一緒に行った高良さんとの記憶とともに僕の中ではいまだ鮮やかだ。

桜も開花しそうだし、家の近くでは梅は散り、木蓮が咲き誇る。三寒四温の季節となり、春がすぐそこに来ているこの頃だが、今週はあまり気分が上がらないな。こういうときは、できるだけ静かに過ごして翌週を迎えるのがいいんだろう。

菅野所長のエッセイ:何かを賭けてこそ英断と呼ぶ


2020.03.06

新型コロナが人から犬にも感染するというのはパンデミックにどう影響するのだろうか。何しろ、飼い犬はやたら口をペロペロ舐めたがるわけでね。愛犬家にとっては脅威だろう。もう厚労省には任せておけないと首相が乗り出している状況だから、厚労省や感染研はこっちの研究したほうがいいんじゃないの。
しかし、首相の独断専行もまた危うい。全国一斉休校という”英断”も、どうなのか。とにかく、そうした決定には補填のための予算が計上されなければならないわけだが、それが見えない。働く人には、1日の上限約8000円で休業の補償するとは言っているが、合計がどれくらいになるのかは不明だし、どういう申告のしかたをするのかとか、お金が下りるのはいつのことなのかとかまるでわからない。僕はほぼ信用していないね。たとえば、香港のように一人14万円を700万人に給付するという決定なら信用おけるけど。
学校休校にしても、学校にかかわる産業への補償というのはどうなのだ。国内で生産される生乳の1割は学校にいくものだし、給食産業はこの間大ダメージだ。結局、2兆、3兆程度はぶち込まないといけないのではないか。現在153億で、予備費に2700億あるといっているがそんなの焼け石に水もいいところだろう。誰かが今の政府は「火事になってるのに、水道代をケチって水をかけない」状態と言ったが、なかなか言い得て妙である。
こういうところで政権の本体があらわになるな。危機を仮想し、あおり、アメリカからのお下がりの兵器にはどんどん金を出すが、現実の危機には金を使わない。こういうのを見ていると、緊急事態宣言とか非常事態宣言が出たときが心配になる。こういう事態だから皆さん我慢してくださいと、他にも金がかかるので皆さんの分はありませんとか、非常事態だからそれを免責とするとかね。この政権ならやりかねないなあと僕は思うのだ。
そもそも現状の特措法でできることをわざわざ法改正するというのがわからないが、どうも今の特措法は民主党がつくったものだからという推測があるようだ。これもあり得るなあ。
熊本のある病院が、スタッフが感染したことを公表した。公表することのデメリットも覚悟の上、これこそが”英断”である。しかし、やはり世間の怖れ方は想像以上だったようで、なかなか厳しい状況となった。でも、僕は断固この病院のあり方を支持するものだ。こういう病院こそが信頼に足る。医療関係については悪口ばかり言っているが、ここの院長は偉い! やがて報われると僕は信じる。

休校の他にも、中国や韓国からの入国制限強化とか、遅きに失した首相の”英断”とは、所詮アピール、パフォーマンスだからな。やっぱり何かを賭けるというものがないから、薄っぺらいよね。ほかの事件でも明らかだが、失態について責任を取るとか、辞職するとかいう発想はまったくない人だから。
それどころか、官僚や閣僚、専門家の意見など聞かずに決めていることにひそかに歓喜していたり、消費税アップによる経済の悪化がコロナ騒動にマスキングされてることに安堵しているんじゃないかと思えてしまうな。

菅野所長のエッセイ:怒りの記憶


2020.02.28

穏やかな海ならば航海士の腕は問われないが、ひとたび荒海に出ればそうではない。新型コロナのパンデミックという事態に出くわしてそれがあらわになったことは、もう誰の目にも明らかだろう。ろくな対策が打てないばかりか、政権がこれをさらに悪化させていることもどんどん明らかになっている。
北海道と東京で感染者数がほぼ同じという不思議なデータは、地域によって検査数がまちまちであることを示していた。検査をちゃんとすれば感染者の発見も増えるわけで、日本に比べて韓国の感染者数が圧倒的に多いのは、日本の検査数が圧倒的に少ないからに過ぎない。ではなぜ?

一部の医師の言によりわかってきたのは、国立感染症研究所の存在だ。これは厚労省の管轄、外郭組織とと言ってもよい。感染症についてはつねにここがイニシアチブを取るわけで、たとえば、ダイヤモンドプリンセス号への対応、PCR検査の施行等もここが主導権を握る。PCRについては、民間に委託することによって保険適用が可能となり、そうなると検査数が伸びるはずなのである。しかしながら、研究所は、民間に委託することで主導権が薄れること、とりわけ自分たちだけが占拠できるデータが拡散してしまうことを怖れたと推測される。クルーズ船への不可思議な対応に見られるように、感染の拡大を抑制するという目的以外のことが彼らにとっては重要であり、その結果がさらなるパンデミックを起こしていると考えられる。
ここで多くの人は、医師や専門家がまさかそこまでしないでしょう?と思うかもしれないが、さにあらず。現場の医者はともかく、研究タイプの医者とはだいたいそういうものだ。

昔、阪神淡路の震災のとき、その1カ月後に僕は神戸の避難所を巡っていた。避難所はだいたい学校か市民会館、公会堂である。当時、臨床心理士会は、現地の心理士をリーダーとして、避難所を巡回していた。その本部長のT氏やK氏とともに避難所に行くと、いくつかの避難所には立ち入りが許されなかった。なぜなら、そこは**大学医学部チームの縄張りだからであって、いくら専門家であってもそれ以外の人間は活動を実質上禁止するということなのである。当時の神戸には大学や研究所の数だけそうした避難所があった。彼らは学会や論文に発表するためにそこにいる被災者を囲い込み、データを集積するのである。それはまた純粋な研究という意図ではなく、名声や出世を目的としているというものであり、自分たちだけの手柄にするというものなのである。
一方、全国各地から、自腹、手弁当で駆けつけ、できるだけ多くの避難所を回り歩き、少しでも被災者のお役に立てばと考える心理士からすれば考えられないことであった。それを聞かされたとき、驚きはあっという間に通り過ぎ、僕は怒りに震えた。
けれども、僕の横で、被災者でもありながらも本部長として活動していたT氏は「しかたないよね」とポツリと発した。その響きから、僕なんかよりもはるかに怒り、憤りを覚えながら、しかし、そのどうにもならない虚しさを冷静に受け止めている彼の心が伝わってきた。彼に比べれば、僕の怒りは安っぽい。そんな環境の中で、葛藤を抱えつつ、自分にできることは何かを考え、それを着実に実行していくことが大事なのだ。
とそんな昔のことを思い出せば、自分はそのときの怒りを忘れていないことがわかる。これはいいことだな。もちろん、仲のいい医者、尊敬する医者もたくさんいるけどね。すべての医者がこうだというわけではない。それでも、医療とは袂を分かった心理士だけの組織をつくろうと考え、TCCを構想した背景がこの記憶にもあるのは間違いない。

とにかく、台湾や香港、シンガポールといった諸国が対策費として3000千億から5000億を計上しているのに対して、日本政府は150億だと。東京都が400億。国難に対して何もできない、何も考えてない政権下にあるのは不幸だよね。

菅野所長のエッセイ:専門家という弱い立場


2020.02.21

福島原発のときもそうだが、一見は天災と見えてもその実は人災の部分が大きいことはよくある。ダイヤモンドプリンセス号の船内パンデミックにしても、よく知らないときには、そこそこがんばっているんじゃないかと思い、外国の批判も的外れではないかと思っていたのだが、神戸大学岩田教授の告発によってやはり役人の無知、無能によって拡散したという疑いが濃厚となった。救援に入った役人二人が感染したという事実がそれを何よりも物語っている。
一般的には、役人が専門家を軽視するというのは理解されにくいかもしれないが、彼らにとって重要なのは、専門性がどうというよりも、命令系統として自分よりも上にいるか下にいるかだけなのである。
昔、ある行政団体と仕事上の話をしたとき、メンタルヘルスのことなどまるでわかっていない人間が担当となり、しかも、こちらの言うことには耳を貸さないという態度に出会った。まだ30代か40そこそこの、僕から見れば若僧なのだが、その尊大さと言ったらない。
で、言っていることは、専門知識の多寡とは関係なく、論理的にむちゃくちゃな感じなのである。しかも、バカのくせに、自分が頭がいいと思いこんでいるフシがあるのだ。もう呆れてしまって「こういうところとは仕事しないほうがいいですよ」と営業の人に伝えた。つまり、岩田教授のように、深くかかわるほど憤りを覚えることは明らかだからだ。しかし、それでは商売が成り立たないところもあるので難しい。案の定、岩田教授は1日で船を降ろされ、今後政府絡みの仕事は一切来ないだろう。ANAホテルも今後の圧力にどう戦うのか。
能力には関係なく、自分たちに都合のいい人材を起用する、そういうことはよくある話で、組織の内部性の観点からはすべて否定されるものでもない。しかし、こうした緊急の事態では違うだろう。今の政府は観光を重視しているけど、諸外国は日本は危機管理がなってない、危険だと評価しているわけで、これが観光客の減少につながるということもある。近くの中国で起こったからという不運では片づけられないし、パンデミックのせいだからしかたないで済ますならば政治家など不要だ。内閣の対策会議では、小泉を始め、会議を欠席して地元民のご機嫌取りにいってるのが発覚。小泉あたりがいたところで何の役にも立たないのは確かだが、会議にくらいには出て座っているのが常識だろうに。厚労省だけでなく、環境庁、国交省などかなり縦断的な案件であるのだから。
都合のいい人材という意味では、検事長の定年延長というのは、あり得ない禁じ手だ。モリカケ、「桜」と続く首相の違法行為だが、今度こそは逃げ切れないかもしれないと感じた首相は、あろうことか検察人事に手をつけ、この危機を乗りきろうと考えたわけだ。その過程もまた例によってめちゃくちゃだから矛盾が噴出している現状である。こんな状況にあって、当の黒川検事長も自ら定年で辞めるとは言わないものかね。法の番人という自覚はないのかな。ま、類は友を呼んでいいるということだが、ここまでやってしまう権力者というのは日本では初めて見たね。というのも、ひとえにマスコミの弱体が影響してるからだろうなあ。マスコミの責任も重大だよね。

さて、一方で、この季節にしかないGⅠがフェブラリーS。なので久々の競馬予想だ。本命は⑫モズアスコットとしようか。対抗ももちろん⑤インティ。この2頭は強そう。割って入る可能性があるとすれば②アルクトスと⑩ノンコノユメか。

菅野所長のエッセイ:楽しい食事には罠がある


2020.02.14

先週はコラムのことをすっかり忘れていました。すみません。翌日大阪に行くことで頭がいっぱいになってしまったもので。

今年になって初めて遠出したのだが、大阪もまた人が少ない感じである。中国からの団体旅行がないせいだろう。
今回気づかされたことはウィルスの感染経路についてだ。
一泊目のホテルでは、朝食のときに券を渡すと、すでに決まっているセットを運んでくれたので気づかなかったが、2泊目のほうは普通のビュッフェスタイル。食堂は空いていて、のんびりとおかず等を取り、一人で食べていると、後ろ側に中国人の4人家族がいた。団体旅行でないと静かなものである。でも思い返すと、この家族は僕よりも数分前にビュッフェで食べ物を取り分けていた。このときは静かだから気にしなかったが、通常中国人や韓国人の団体がいる朝の食堂は、バーゲンセール会場のようなけたたましさである。あれもこれも皿にこれでもかと食べ物を盛っていくのだが、それも大声でわめきながらなのである。だから、僕はそういうホテルでは昼食を取らないことも多かった。いまもしもそういう光景があったならば、そこにいるかもしれない感染者の大量のつばが食べ物に降り注ぐことを思うだろう。
いやあ、これはやばいなあ。食べるときにはマスクなんかしないし、確実に自分の体内に入る。どんなに手を消毒しても無意味だ。
一般的な感染のイメージとは、近距離からの飛沫が、口や眼に入ることだが、そんなのよりも実は食事による感染が一番多いのではないかと思った。ビュッフェとか、焼き肉、鍋とか、向かい合い、同じものを取り分ける形式の食事だ。つまり楽しい食事ほど危険。一人淋しい食事は安全。まあ、感染者がいればの話だが。しかし、子どもがインフルエンザに罹り、それが家族に及ぶというのはおそらく食事の問題ではないかと思われる。
一説によれば、武漢で爆発的に感染が拡大したことの要因として、すでに何人かの感染者が確認されていた頃、武漢ではこの季節の恒例行事である市をあげての大宴会が行われたことが挙げられる。VTRで観ると、テーブルにはそれは豪華な食事が並び、参加者は4万人。日本で言えば超豪勢な芋煮会みたいなものだな。ここで感染が一気に拡大したという説なのだが、僕はこの説が本命だとにらんでいる。つまりは、行政や当局がこのウィルスをなめてたわけで、少なからず人災という側面もあるのかもしれない。
慎重を期すならば、旅行先でもどこでもビュッフェには手を出さないのが賢明だろう。
日本での高い感染率を見て、中国国民も当局が発表する数字が怪しいと思っているようだ。やはり本当のところはあんなもんじゃないだろう。それと同時に、WHOの言うことも当てにならない。事務局長と中国とのつながりは深く、ネット上では罷免の署名が50万を超えているという。中国本国でも、弁護士や著名人50人が署名して当局を非難。最近では珍しいことだ。事態は中国の体制を揺るがすものとなりかねず、だから周近平は本当の数字を出さない。どこの権力者も同じだ。
それぞれの政府の思惑とは違い、ちょっと前には、日本に来ている中国人がマスクの爆買いをするなか、あるドラッグストアがマスク売り場に「中国加油!」の張り紙を並べた。これを見た中国人の多くがネットで日本人に感謝の意を示していた。いいことだな。
先日自民党が中国に義捐金を贈ろうとしたことはいいのだが、その額、議員一人5000円。まったくせこいというか何というか、そして、ある中国嫌いの右派党員たちはこれを拒否というのだからねえ。韓国の場合もそうだが、他国との友好はいつも政治に邪魔される。
今の政治家の能力、定見については、深刻な問題だ。首相からしてまんまと辻本清美の挑発に乗り、またもやヤジを飛ばし、来週には謝罪することになるんだと。国会で首相がヤジを飛ばすなんてのは前代未聞のことだったが、これで何度目だ。
むかし、その後都知事となった青島幸男が国会の初答弁で「佐藤首相は財界の男めかけ」と発言したとき、当の佐藤栄作はゲラゲラと笑っていた。ずいぶん図太いもんだなと僕は思ったものだ。たぶん内心は穏やかではなかったはずだが、小物の言うことにムキになるなど沽券にかかわると思っていたのだろうと思う。あれはあれで政治家の胆力を示すものだし、普通の革靴で田んぼの中に入っていって農夫と握手する田中角栄にしても、それが彼流のパフォーマンスと知りながら、その姿勢には政治家としての豪気があったのだ。
現在、そんなことを感じさせる人は一人もいない。

菅野所長のエッセイ:マスク信仰の構造


2020.01.31

いやはやひどい事態だなあ。武漢から来た在留日本人は、飛行機代等自己負担だったし。しかも、ちゃんとした隔離をしない。まったく危機管理能力ゼロだな。このところの災害時の対応とかぶる。邦人保護費用というのが400億近くあるのに、それは「平時」のためにあるから使えないと外務省。こういうときこそ税金を使えなくてどうする。それなら「桜を見る会」中止で浮いた金でも使えっての。国民を守るなんて意識はまるでないことがよくわかる。と思ったら、ようやく政府負担の意向がでた。言われなきゃわかんないどこかの誰かさんと一緒。いや、言われてもわかんないかな。
水曜日のことだが、第1便で帰国した人たちは千葉の勝浦のホテルに行った。僕はよく知っている。勝浦にはシングルのホテルがほとんどないのだ。と心配していたら、やっぱり相部屋だと。正気の沙汰なのか。
この第1便が羽田に到着するとき、テレ朝、TBS、フジは中継していたが、日テレのみ能天気な番組を継続。ああ、政府と日テレの空気感はほぼ同じと見ていいのだなと思った。そもそも日テレは、モリカケにしても何にしても、政権に不利なことは報道はすれど追及はしないからな。あの百田尚樹でさえこの件では批判しているのに。
そしてNHKを見ると国会中継。野党はこんなときにも「桜を見る会」を追及していた。そりゃ審議のスケジュールは国対で決めてあるにせよ、これを火急の国難と見ないといけないだろうに。議題を変更して超党派での緊急決議を迫るべきなんじゃないのか。野党がこんなだから、あんな政権でも「他にないから」という支持があるんだよな。
金曜の朝、日テレを見ると、どこぞの専門家らしき奴が、「政府の対応はよくやっている」と驚きの見解を述べた。このとき、MCの加藤浩次が何とも微妙な表情を浮かべたので、一瞬期待したが、やっぱり仕事は失いたくないもんね、「そうですか」と答えた。怒れ、加藤。罵倒せよ、加藤。加藤浩次から怒りを取ったら何があるのだ?

とにかく甘く見すぎ。致死率こそ(今のところ)低いものの、SARSのときよりも感染速度はかなり速い。そして感染力がとんでもなさそう。1便の帰国者200人の中で陽性が3人という割合には驚きである。2便では感染を疑われている人が26人だったか。

スペイン風邪は古すぎるが、1960年代の香港風邪くらいの感染禍なのか。あのときは、日本にはそんなに外国人が来ない時代だったからね。状況が相当違う。スペイン風邪の頃は、人々の渡航手段は船だけだったし。
だから、まだよくわからない。一応SARSが比較対象とはなる。SARSのとき、発生からピークまでは2~3ヶ月あった。今回もピークは4月くらいではないかと言われている。まだ始まったばかりなのだ。しかも、インフルエンザの季節であり、なおかつ花粉の季節がやってくる。こりゃたいへんだ。
銀座はあいかわらず中国人が多いわけだが、観察すると、半分くらいはマスクをしていない。おもに個人旅行客だけど。マスク不足もあるだろうが、日本は安全だと思ってるんだろう。日本人がいくらマスクしてても、感染確率が高い連中がマスクをしなければ意味がない。マスクは予防としてはほとんど効果がなく、感染者が巻散らかさないほうに効果を発揮するのだ。実際の感染経路というのは、ほとんど手らしいからね。
おそらく「封鎖」された武漢からは、かなりの人数が他省に、富裕層の一部は外国に脱出をしているはずである。人口1000万のうち、すでに半分はいないとも見られている。「出るな」と言われて、おとなしく従うような国民性じゃないからな。国内で行きやすいのは重慶か。でも、できるだけ遠くに行こうとするよね、こういう場合。外国なら韓国、日本だ。
武漢直通じゃなくても、日本には感染者がかなり入り込んでいるという前提で対処するほうがいい。致死率が低いとは言うが、まだ初期段階。当初は年寄りばかりが死ぬと言われたが、サンプルが増えるとそうとも言えなくなってくる。しかも、ウィルスは変異するのが常識だから、より強力になっていく可能性だってあるし。
こうした定見を政府は持っていない。政治家がそうなのは分かり切っているけどね。「募っているけど募集ではない」とか「育休だけど休みではない」とか言う連中だからな。
しかし、厚生官僚の対処がひどい。これとは関係ないが、京都大学山中教授に喧嘩を売ったおばはん審議官とか、もう話にならない。しかも不倫旅行のついでにやってんるんだからねえ。医師資格を持っているとは言っても、ペーパードライバーも同然。乗れるのは精々軽自動車のサンデードライバー。それがFⅠのレーサーに圧力かけるとはね。もう不敬罪といっても過言じゃないぜ。
これは何だな、確実に製薬業界との癒着が推測できるな。不倫相手も含めて、叩けばほこりがでるんじゃないか。
それにしても、山中教授だから返り討ちにあったが、過去にはもっと無名の研究者たちの多くがこうした不条理な被害をこうむり、無念の思いをしてきたのだと思う。そういった僕たちの知らない出来事の中に、業界との根深い癒着を背景として、国益などまったく省みない政治家や官僚の暗躍がそこにあるのだ。そして、それをリードする暗愚な政権首脳の姿が浮かび上がるのである。
今朝、電車内ではマスクをしていない人が明らかに増えていた。僕と同じように、みなマスクは大して意味がないことを知ったからではないか。花粉は多少別なんだろうが。僕はインフルや花粉対策として、マスクを使うことなどなかった人間である。先週末から数日かけたけどね。今はまた外している。

そういうマスクとは縁のない人間だからか、昨日、なぜこうも人々の間でマスクへの信仰が確立しているのかという問いが生まれた。その答えはまあわかるよね。一口で言えば洗脳と言うことになる。

菅野所長のエッセイ:底なしの国


2020.01.25

先日、お年玉年賀はがきの抽選があるとニュースで知り、久しぶりに確認してみた。もう10年くらいは見てなかったかも。そしたら、下2ケタの切手シートが5つ当たっていた。よくわからないが、なかなか高確率ではないのか。一度4ケタくらいのが当たってみたいものである。来年もチェックしてみようかな。

さて、この1~2年、韓国や中国の歴史ドラマにはまっていることは何回か紹介しているが、先日は、いくら何でもこの悪だくみは無理がありすぎて、周りも賛成しないだろうと思ったところ、それが通ってしまったという展開がある。
そのときには、やはり韓国ではこういう無理筋でも通るんだなと感じただけだったが、その後ふと思うと、いまや日本でも同じことが起きていることに気づき、ちょっと愕然とした。桜を見る会やモリカケのデータ破棄、改ざんなど、小学生くらいでもウソとわかる隠蔽がまかり通るわけで、これはドラマの王や重臣が陰謀を企み、それに部下が追従していくのと同じだ。
考えてみれば、どんな悪だくみも、賛同者、追従者がいなければ成立しない。その賛同者とは、ドラマではちょっと下位の臣下であり、今でいえば官僚の部課長クラスだ。
名簿管理がなっていないということで、内閣府の人事課長たちに給与減額などの処分が下されたが、しかし、安倍政権のよき協力者として、陰で金は補填されるか、やがてもっといいポストに就くことが約束されているのではないか。そうでなければ、早晩データがマスコミに流れるはずだ。菅原、河井夫妻などの不正発覚はリークに決まっているからね。部下たちが裏切らないようにするには手厚くする必要がある。
だから、そうはならないんだろう。こうしたことで処分を受けるのは今や官僚の出世コースだな。まったくなんてことだろうか。国民を欺いている連中は公務員じゃなくて「私務員」だな。何かいい呼び名ないか。
これは公務員制度という大きな問題なのかもね。公務員て、一度なったら99%くらいは一生公務員なんでないの? もっといろんなところに転職したりできるようになったら、ちょっと違ってくるんじゃないの? 彼らには自由というものがないのだ。ひたすら自由に生きることを望んで生きてきた僕なんかとは違いすぎる。

僕なんかいつも辞表を胸に秘めつつ仕事してきたもんな。(実際、半年くらい胸ポケットに入れて仕事をしていたときもある)そうやっていると、ほんとに嫌な仕事はしないで済むね。もう昔の話だが、TVやラジオなど、メディアの仕事などはときどきほんとに嫌になるのがある。アホなディレクターに当たると、バカなことばかり言わせようとするので、そういうときには無視してたな。そうすると、次は呼ばれないのだが。とにかく、そういう世界をよく知っているから、TVによく出る学者や文化人は、ごく一部を除いてほとんどが魂を売り渡してることが理解できる。
まあそれは余談だ。とにかく何かいい仕組みを作って、公務員改革というものができたらいいなと思うのだった。
このまま行くと、日本も中国化していく可能性はある。現政権が親和性を持っているのは、周近平政権であり、トランプ政権だ。そこではどんどん自由が失われていくだろう。中国などは、監視システムが進行し、14億人の国民全員を監視する方向に向けて着々と動いている。スマホの購入時には顔をスキャンすることが義務づけられており、GPSどころではなく、どこにいても監視カメラで見られ、特定されてしまうのである。これはもう”パノプティコン”どころではないな。この時代にフーコーが生きていたらどのような考察をするのだろうか?
中国と言えば、新型コロナウィルスのパンデミックだ。もう全土に広がっているらしいが、春節となって大移動するから世界中が危険。とくに今や銀座は中国人であふれかえっているので、怖いものがある。センターの周辺には次々にホテルができているし。飛沫感染とは言っても、中国人は大声でしゃべるからねえ。世界でも1、2を争うスプレッダーと言えよう。僕は銀座を歩くほんの数分だけだが、マスクを着用している。

ここからは妄想になるが、政略として武漢在住の中国人を日本に大量に送られでもしたらたまらないな。むかし、中国国民全員が一斉に椅子から飛び降りたら、その衝撃で日本は津波で沈没するという話があった。あくまで都市伝説的なものだろうが、しかしひょっとしたらあり得るのではないかと思わせるほどに、中国という国のポテンシャルは底が見えないものがある。人口1000万超の都市を封鎖するなんてことができるのもこの国ならではではないか。これって、「バイオハザード」とかの映画の世界でしょ。

菅野所長のエッセイ:音楽の力


2020.01.18

東京は今冬一番の寒さかな。午前中は雪混じりで、歩いていても手が冷たくなる。こういう日にゴルフの予定がなくてほんとうによかったと思う。

1月17日、阪神淡路大震災から25年。それからもう25年も経つのか。合掌。

今では神戸市民の40%は震災を知らない世代だということだ。

 
先日、再放送だと思うが、ロン・ハワード監督のビートルズのドキュメンタリー映画を観た。僕はストーンズ派なので、さほどに詳しくはないのだがね。でも、東京オリンピックは1964年だが、この年あたりを中心としたものだったので時勢的にも面白かったし、やはり、ビートルズが巻き起こしたものは革命的なことであったと改めて思う。

まあ、1966年頃までのことだから、音楽的には大したものではない。「サージャントペパーズ-」や「アビーロード」といった名盤中の名盤は、彼らがスタジオ活動になってから生まれたものだ。以降ライブをやったのはビルの屋上でのゲリラライブだけだ。
この映画の中心はあくまで1966年までのライブ映像。そのライブ時では、「ヘルプ!」から楽曲が格段によくなったんだなと思う。詳しい人はどう思っているのか知らないけど。
その頃までのビートルズだから、音楽的には大したものではない。それよりも、彼らが及ぼした社会的な影響に大いに心を動かされる。とくに、アメリカでの公演で、当時アパルトヘイトが普通だった会場に対して、「そんなのバカげてる」「それならやらない」と言い放ち、アパルトヘイトを撤廃させたくだりだ。これを機に、南部の会場も皆アパルトヘイトをやめるのである。
アメリカの人種差別の問題は、おもにキング牧師を中心とした公民権活動によって解消されてきたとみな思っているが、それよりもビートルズのほうが先んじているのだ。人種問題を思想が駆逐するのではなく、金儲けが駆逐するという、資本主義ならではの平等というものがここに現れる。これが何とも興味深かった。
共産主義が必ず独裁や差別を産み出すように、思想というものの頼りなさ、危うさに対して、資本の力は何と明快だろうか。そして、音楽がある種のユートピアを創るという考え方も、単純に音楽の力ばかりではなく、資本が介在して初めて可能となるのだろう。実際、音楽産業はつねに巨大な金が動いているのだ。ただし、よい音楽が何事かを動かす力を産むわけで、それを総じて音楽の力ということである。
以前アメリカで最も差別のない場所は軍隊であると聞いたことがある。差別の撤廃とは思想によって為されるものなのかどうか、よく考えれば、そもそも差別は思想によって産まれるものではなく、力によって産まれるものだ。だから、それに拮抗する力がなければ差別はなくなりはしないのだろう。
まあ、そんなかたい話は抜きにしても、この映画は面白い。ビートルズの来日は後回しだったのは、やはり当時の日本は音楽産業が未開だったからだろう。クィーンが日本で火がつきそれが世界に広がったような後の時代とは雲泥の差だったのだ。しかも、当時、ビートルズが来るということで、日本に入れるなと右翼が大騒ぎした。幕末以来の攘夷運動だね。
今観ると滑稽なことだが、当時はビートルズの短いマッシュルームカットでも大問題だった。映画では、少女時代のシガニー・ウィーバーが映像にとらえられて、それがものすごくかわいい。ウーピー・ゴールドバーグがライブに行く経緯もなかなかハートウオーミングである。

今年はオリンピックイヤー。そして、東京となると、僕はいつも1964年あたりを思い出すのだ。

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